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福岡地方裁判所 昭和43年(ワ)113号 判決 1975年3月01日

原告

上村京子

原告

上村幸枝

右法定代理人親権者母

上村京子

原告

上村ハジメ

右原告ら三名訴訟代理人弁護士

佐伯静治

外四名

被告

三井鉱山株式会社

右代表者代表取締役

有吉新吾

右訴訟代理人弁護士

橋本武人

外四名

主文

一  被告は、原告上村京子に対し金二五〇万円、同上村幸枝に対し金六九五万八五八一円、同上村ハジメに対し金一五〇万円及び右各金員に対する昭和四二年九月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  この判決は、第一項に限り、かりに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、原告ら

主文同旨の判決並びに仮執行の宣言。

二、被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

との判決。

第二  当事者の主張

一、原告らの請求原因

1  事故の発生

被告は、大牟田市に三川、四山、宮浦の各鉱からなる三池鉱業所という炭鉱を設け、石炭の採掘販売等を営む会社であり、訴外上村孝知(以下、孝知という)は被告に雇用され、昭和四二年九月二八日当時は、右三池鉱業所三川鉱に坑内機械工として勤務していた。

ところが、同日午前五時四五分ころ、三川鉱○片材料線坑道(以下坑道の位置等については別紙図面を参照のこと)附近に火災(以下、本件火災という)が起り、それに伴つて発生した一酸化炭素ガス、炭酸ガス等のいわゆる跡ガスがしだいに坑内に流れていつた。

孝知は、本件火災発生当時、火災発生場所より坑内の通気上は下流に当る上層二六卸ホーリング座附近で働いていたが、本件火災により発生したガスに追われ退避中、上層二六卸坑道二片附近でついに右跡ガスによつて中毒死亡するに至つた(以下、本件事故という)。

2  被告の責任原因

本件事故の発生した炭鉱の坑内は民法七一七条一項にいう土地の工作物であるところ、本件事故はその占有者でありかつ所有者である被告の坑内の設置及び保存に瑕疵があつたために生じたものであるから、同条項により被告は本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。以下その事由を指摘する。

(一) 本件火災の原因は、本件事故直後現場が密閉されたため、今日の段階では明確に断定することはできないけれども、本件火災の発生した○片材料線坑道は上層二一卸真卸坑道から分岐して約一〇〇メートルの間は右に屈曲し、続いて三五〇メートル連延坑道(主排気坑道)と約三〇メートルの間隔で並行する直線となるが、その屈曲部とそれに続く約七〇メートルの部分は炭層の中に設けられたいわゆる沿層坑道であつて、本件火災発生当時は入気バイパス坑道としてのみ使用され、入気は三五〇メートル本延坑道(主入気坑道)から竪坑によつて上層二一卸真卸坑道に分流され、更に、前記分岐点から○片材料線坑道に入り、坑道奥の方向へ流れ、これと並行する前記三五〇メートル連延坑道の排気と反対の方向に流れていた。

また、○片材料線坑道は、一日一回保安係員が巡回するだけで一般作業員が立入ることはなく、電気機器、ケーブル、機械等の設備もなく、他に火源となるものは存しなかつた。

したがつて、本件火災が発生したのは、前記○片材料線坑道の沿層坑道の部分、ことに旧材料線坑道との交叉点より数メートル奥に入つた地点における次のいずれかの原因による自然発火と推定される。

(1) ○片材料線坑道の屈曲部の沿層坑道部分から、又は、そこより奥の半岩盤坑道部分から三五〇メートル連延坑道(これも沿層坑道である)に向けて漏風を生じ、その間の炭層内の○片材料線坑道に比較的近い部分において自然発火した可能性がある。すなわち、

(イ) まず右漏風が○片材料線坑道の沿層坑道部分から生じていた場合については、○片材料線坑道と三五〇メートル連延坑道との間には旧材料線坑道が斜めに走り、これを遮る形となつているので、○片材料線坑道の沿層坑道部分から三五〇メートル連延坑道に向けて直接漏れていた可能性は少なく、○片材料線坑道の沿層坑道部分の亀裂から入つた通気は旧材料線坑道に流れ、更に旧材料線坑道から同坑道の三五〇メートル連延坑道寄りの密閉を通して、あるいは旧材料線坑道と三五〇メートル連延坑道間の炭層を通して同坑道に漏風した可能性が強い。そしてまた、旧材料線坑道自体についても、その人道方向から三五〇メートル連延坑道方向に向けて密閉を通して漏風を生じ、その漏風もさきのように三五〇メートル連延坑道に密閉又は炭層を通じて漏風し、その漏風も○片材料線坑道から旧材料線坑道に一層漏風を引き込む形となり、○片材料線坑道と旧材料線坑道間の自然発火の条件を一層高めたものと思われる。

つぎに右漏風が○片材料線坑道の半岩盤坑道部分から生じていた場合については、前記の沿層坑道部分から漏風が生じていた場合と同様に、旧材料線坑道を介して生じていた場合と半岩盤坑道部分から直接三五〇メートル連延坑道に漏風を生じていた場合の二つのケースがいずれも考えられる。

(ロ) 三五〇メートル連延坑道の上層(三川鉱の炭層は上層、本層の二層からなる)の上盤は厚い砂岩層からなるので亀裂の発達が容易であり漏風が生じやすい条件にあつたが、コンクリートライニングは十分になされていなかつたし、○片材料線坑道の屈曲部分は沿層坑道で、しかも旧材料線坑道と交叉しているという条件のもとで当然地圧がかかり、それによつて亀裂を生ずる可能性が十分あつたが、その炭壁にはコンクリートライニングも施してなく坑道を支える支保もいわゆる地獄巻の程度であつた。

また、○片材料線坑道と三五〇メートル連延坊道はいずれも沿層坑道であるばかりか、その間は炭層であり、したがつて旧材料線坑道も沿層坑道であつたところ、坑道間の間隔が、○片材料線坑道と旧材料線坑道間及び旧材料線坑道と三五〇メートル連延坑道間は最も近いところでは旧材料線密閉内側を起点にしてもいずれも一〇メートルもないところがあり、これらの坑道間においては当然漏風を生ずる距離関係にあつた。

(ハ) 半岩盤坑道の場合は岩盤と岩層という異質のものの接した線が坑道側壁を横切るわけであるから沿層坑道の場合よりも一層亀裂を生じやすいところ、○片材料線坑道の半岩盤坑道部分から旧材料線坑道まではせいぜい一五ないし二〇数メートル、○片材料線坑道の直線となつた部分の半岩盤坑道から三五〇メートル連延坑道までは二三メートルの間隔があつたに過ぎないのであるから、これらの坑道間においても十分漏風し得るものであつた。

(ニ) ○片材料線坑道と三五〇メートル連延坑道の間の通気圧の差はかなり大きく、水柱差にして五〇ないし六〇ミリメートルあり、一平方メートルあたり五〇ないし六〇キログラムの圧力が加わつていた。このような通気圧の差があると、風は気圧の高い方から低い方へ必然的に流れるから、なんらかの亀裂があるなら当然に漏風を生ずるし、これに加えて○片材料線坑道を流れる風量が多いことから圧力降下が坑道側壁に余計に作用して漏風を助長させる。このようにして漏風は○片材料線坑道の至近距離にある旧材料線坑道へ、旧材料線坑道から三五〇メートル連延坑道へと、あるいは○片材料線坑道の半岩盤坑道部分から直接三五〇メートル連延坑道へと漏れて行くのである。

(ホ) 旧材料線坑道はかつては三五〇メートル連延坑道に連絡していたが二箇所に遮断壁を設けて密閉しこれと連絡を断つてあるものの、もともと時間の経過とともに坑道そのものは面積を縮少する方向へ動くとともに密閉自体にも各種の変化が起きてくるものであるところへ旧材料線密閉のうち三五〇メートル連延坑道寄りのものについては密閉自体の補修が不可能だつたわけであるから、旧材料線坑道の二箇所の密閉はいずれも漏風防止のための完全な密閉であつたとはいえなくなる。このように旧材料線坑道自体も漏風を生じ、○片材料線坑道から旧材料線抗道にもれる漏風とあいまつて三五〇メートル連延抗道に漏風する可能性が十分にあつた。

(2) 本件火災以前である昭和三九年四月二九日に上層二一卸採掘跡の右三片捲立附近の補扇座で火災が発生し、相当広範囲に火災が広がつたために、上層二一卸真卸坑道と○片材料線坑道との分岐点から約七〇メートル下つた位置で上層二一卸真卸坑道を密閉してあつたが、この密閉が不完全となつたか、あるいは他に漏風があつたかしてその火は本件火災当時なお完全な形では鎮火せず、又は少なくとも火種となるものがなお存在していた可能性がある。それが上層二一卸真卸坑道右三片から密閉内の坑道を伝わるなどして入気の方向に向つて進行し、更にそれは○片材料線坑道の卸方向にある上層二一卸採掘跡と○片材料線坑道との間にある炭層、すなわち約四五メートルの保安炭柱として残されていた炭層内の亀裂を通して進み、○片材料線坑道に火を発した可能性がある。

(3) ○片材料線坑道の屈曲部分は沿層坑道でありコンクリートライニングも施されずに放置されていたところであつたから、炭壁の崩落、盤ぶくれ等のため堆状あるいは粉状となつた石炭が堆積あるいは附着したまま放置されていて、それから自然発火した可能性もある。

(二) 本件火災の原因が右(一)のいずれかであるとすると、被告が次のとおり坑内を設置、保存しておれば本件事故は未然に防止できたはずであり、被告がこれを怠つたために右事故が発生したといわねばならない。

(1) 火災原因が(一)の(1)の場合

(一) ○片材料線坑道、三五〇メートル連延坑道、旧材料線坑道は、漏風が生じないよう、コンクリートライニングを完全・確実に施すなど措置され、また旧材料線坑道の密閉についても、完全になされているよう設置・保存されていなければならない。それなのに右坑道や密閉はそのようには設置・保存されておらず、そのため漏風による自然発火を起す条件をつくつた。

(ロ) 右のように設置・保存がなされていなくても、坑内の巡回点検が十分されていれば火災に至らず、火災に至つても人命に危険を生ずるような事態になる前に発見されたはずであつたのに、本件においてはこのように坑道や密閉が人的管理面でも設置・保存されていなかつた。

(2) 火災原因が(一)の(2)の場合

(イ) 上層二一卸採掘跡に至る密閉が完全になされていれば火災が延焼するに至らなかつた。また、○片材料線坑道に亀裂が生じ、漏風が生じないよう設置・保存されておれば、○片材料線坑道にまで火が燃え移ることもなかつた。しかるに、このようには設置・保存されていなかつた。

(ロ) 右のような設置・保存の瑕疵があつたとしても、右(1)(ロ)で述べたような火災あるいは火災による人命に対する危険を未然に防止するための巡回点検を十分にするという坑道や密閉に対する人的管理面での設置・保存がなされていれば、本件火災に至らなかつた。ところが、このようには設置・保存がなされていなかつた。

(3) 火災原因が(一)の(3)の場合

(イ) ○片材料線坑道に対し石炭が崩落しないようコンクリートライニングを施すなどしていれば石炭が堆積することもなかつた。ところがこのように設置・保存されていなかつた。

(ロ) 石炭が崩落しても、取り除き、あるいは巡回点検が確実になされていれば、自然発火に至らず、まして本件事故のような大事には至らなかつた。しかしこのようにも設置・保存されていなかつた。

(4) 本件火災は、右(1)ないし(3)のいずれかの設置・保存の瑕疵によつて発生し、又はその瑕疵があいまつて発生し本件事故に至つたものであるから、被告は、工作物の設置・保存の瑕疵につき責任がある。特に本件火災が、人命に被害を与える段階まで放置され措置されなかつたことについて、被告の責任は重大である。

(三) かりに、本件火災が右に述べた火災原因でないとしても、本件事故は本件火災に起因することは明らかであるから被告の責任は免れない。

すなわち、

(1) 炭鉱の坑内という危険な工作物においては、常に人命や健康に危険が及ばないように設置・保存されていなければならず、したがつて、火災が起らないように設置・保存されていなければならない。

(2) 万一、火災がいかなる原因であれ発生した場合においても、坑内作業員の人命・健康に危害が及ぶことのないように坑内が設置・保存されていなければならない。

それなのに、人命に危害が及ぶような火災に至つた場合には、そのこと自体で工作物の設置・保存に瑕疵があつたというべきである。

3  身分関係

原告上村京子(昭和一四年二月一八日生、以下、原告京子という)は孝知の妻、原告上村幸枝(昭和四二年八月七日生、以下、原告幸枝という)は孝知の長女、原告上村ハジメ(明治三六年一〇月二五日生、以下、原告ハジメという)は孝知の母である。

4  損害

(一) 孝知の損害及び相続

(1) 得べかりし利益

孝知は、昭和一二年九月二〇日生れで死亡当時満三〇歳の男子であつて当時の賃金は一か月金二万八八九〇円であつた。右の収入を得るのに必要な同人の生活費は毎月金七二二五円(月収の約四分の一)であつたから、純利益は毎月金二万一六六五円、年間にすると金二五万九九八〇円である。同人は、本件事故のない場合、余命年数は39.70年(厚生大臣官房統計調査部作成の第一〇回生命表による。)であり、しかも六五歳までは少なくとも働けるから、あと三五年は働くことができ、その間少なくとも右に述べた金額を超える利益を毎年あげることができた。

そして、今後三五年間の純利益総額を一時払いで求めるため、年毎に新ホフマン式計算法で民法所定年五分の割合による中間利息を控除しても金五一八万八五三七円を下ることはない。

(2) 孝知の慰謝料

被告は、保安をあえて無視しても生産の増強を図る生産第一主義の経営政策のもと、労働者に対しては労働強化と低賃金を押しつけてきた。ことに昭和三五年の三池争議後災害は激増した。昭和三八年一一月九日の三川鉱大災害では死者四五八名、九〇〇名近いガス中毒患者を出すに至つたにもかかわらず、被告はこのような経営姿勢を反省することもなく保安無視の政策を一貫して強行し、三川鉱大災害後本件災害時までの間でもさらに四七名の死者を出すに至つている。

孝知の属する三池炭鉱労働組合(以下、三池労組という)は、三池炭鉱に働く労働者の利益を守る唯一の労働組合として、以上のような被告の経営政策に対して労働者の生命を守るため一貫して闘つてきた。孝知は、昭和三三年一月に被告に雇われ、以来坑内で労働を続け、かつ、三池労組の最もすぐれた組合員として常にその闘いの先頭を切つて闘つてきたのであるから、死の寸前に至るまで労働者の生命を守つて闘いながら遂に自らの生命を奪われるに至つた孝知にとつては、このうえもなく無念であつたと思われる。また、被告の災害の遺家族に対するこれまでの冷たい処遇のことも考え併わせると、孝知は、死の寸前に至るまで遺家族の今後の生活を思い、悲しみと怒りにみちていたであろう。

したがつて、同人が生存中にその意思を表示していたとするならば多額の慰謝料を請求していたであろうが、本件ではとりあえず内金として金三〇〇万円を請求するにとどめる。

(3) 原告京子及び同幸枝の相続

(イ) 孝知の被告に対する、(1)の得べかりし利益の損害賠償請求権、(2)の慰謝料請求権の合計額のうち、原告京子は、その三分の一の金二七二万九五一二円、原告幸枝は、その三分の二の金五四五万九〇二五円をそれぞれ相続した。

(ロ) 控除

原告京子は、昭和四二年一一月から昭和四九年二月までの間、労働者災害保障保険法による遺族補償年金及び厚生年金保険法による遺族年金として合計金六七万六二二五円の給付を受けたので、右金額は原告京子が相続した前記孝知の被告に対する得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権分の金一七二万九五一二円から控除すべきである。しかし右控除した残余分については現段階では請求しない。

(二) 原告らの慰謝料

原告らはいずれも孝知に扶養されていた同居の家族であり、孝知の死亡によつて一家の支柱を失い、はかり知れない精神的打撃を受けた。

しかも原告京子は、結婚後わずか一年三カ月(昭和四一年六月三〇日婚姻)にして最愛の夫を失い、今後は生後五〇日の乳呑み子と老母をかかえて生活して行かねばならず、また原告幸枝は生後五〇日にして父を失い、父亡き子として、生涯を送らねばならない。原告ハジメは頼りとしていた最愛の子供を六四歳という老令の身で失なつたのである。原告らの悲痛は表現すべきもない。

以上のとおりであるから、原告らの被告に対する慰謝料は各自金一五〇万円を下ることはない。

5  結び

よつて、被告に対し、原告京子については、4の(一)の(3)のうち孝知の慰謝料分の相続分金一〇〇万円及び(二)の自己の慰謝料分金一五〇万円の合計金二五〇万円、原告幸枝については、4の(一)の(3)及び(二)の合計金六九五万八五八一円、原告ハジメについては、4の(二)の金一五〇万円及び右各金員に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四二年九月二九日以降完済に至るまで、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告の答弁と主張

1  請求原因1の事実は認める。ただし、本件火災が発生した時刻は午前五時四〇分頃であり、また、後記過失相殺の抗弁事由として詳述するとおり、孝知が死亡するに至るまでにとつた行動は何としても不可解かつ不自然であり、本件火災発生時既に同人は作業終了後であつたので同人が退避訓練のときや平常義務づけられていたとおりに九目抜の人車乗降場で待機しておれば、同部内の他の作業員らとともに集団で無事退避昇坑できて、本件のような不幸な事態にはならなかつたことが明らかであるから、本件孝知の死亡は全く客観的に予測しえない定型性を欠く同人の以上のような過失ある行動に起因するもので、本件火災との間には相当因果関係がない。

2  同2の冒頭のうち、炭鉱の坑道が土地の工作物であり、被告が本件事故の発生した炭鉱坑道の所有者かつ占有者であることは認めるが、被告の坑内の設置・保存に瑕疵があつたとの点は否認する。

3  同2の(一)のうち○片材料線坑道の位置及び構造はその長さ及び三五〇メートル連延坑道(主排気坑道)との間隔の点を除き、ほぼ原告らの主張を認める。右坑道の位置及び構造を図示すれば、別紙図面のとおりである。

○片材料線坑道は上層二一卸真卸坑道から分岐して右に屈曲しているが、その屈曲している部分の長さは約一三一メートルで、三五〇メートル連延坑道とこれに並行している○片材料線坑道との間隔は約二三メートルである。

右屈曲部分のうち、右分岐点から約七五メートルは概ねその坑道の下盤及び両側壁が石炭で天井が岩盤となつており、これに続く約七一メートル(内一五メートルは直線部)の坑道では、その下盤及び両側壁の一部が石炭となつている。

なお、本件火災の発生地点については知らないが、火災原因については否認する。

4  同2の(一)の(1)の冒頭の事実及び同(3)の事実はいずれも否認し、同2の(一)の(1)の(イ)ないし(ホ)は争う。すなわち○片材料線坑道は、自然的保坑状況の特によい坑道であつて、崩落、盤ぶくれ等の現象もなく、炭壁に亀裂を生じることもなかつた。更に、三五〇メートル連延坑道は、その両側及び天井をコンクリートライニング(コンクリート覆工)しているので、○片材料線坑道からこれに漏気するような状態にないし、また、○片材料線坑道には、前記のごとく崩落、盤ぶくれ等の現象はないので、塊状あるいは粉状となつた石炭が堆積あるいは付着して、自然発火の原因となるような事実もなかつた。

5  同2の(一)の(2)のうち、本件火災以前である昭和三九年四月二九日上層二一卸右三片補扇座で火災が発生したこと、上層二一卸真卸坑道と○片材料線坑道との分岐点から下つた部分(ただし、分岐点から約九五メートル下である。)で上層二一卸真卸坑道を密閉したこと、上層二一卸採掘跡が○片材料線坑道の卸方向にあり、その間が炭層であることは認めるが、その余は否認する。

なお、原告らの本件火災原因についての主張は、すべて抽象的想像的なものであつて具体性を欠いているが、被告は本件火災の原因が原告らの主張のとおり、○片材料線坑道の炭壁もしくは炭壁の崩落、盤ぶくれ等により堆積附着した石炭からの自然発火か又は上層二一卸からのかつての火種の延焼したものとはとうてい考えられないので、以下、その理由を詳述する。

(一)(1) そもそも、自然発火とは、適当な風量によつて酸素が石炭に供給され徐々に酸化作用が進展して温度が上昇し、この熱が石炭内部に蓄積される条件にあるとき、ついには発火するに至るという現象である。○片材料線坑道の風量は毎分一、一〇〇立方メートルであり、坑道断面積が約一〇平方メートルであるから、かりに、他に自然発火を起し易い条件があつたとしても、この風量が冷却作用の働きをして、自然発火を起させない。

(2) 自然発火に至る過程においては石炭が酸化作用により顕著な臭気を発散する。温度が比較的高くないときには酸味臭であり、比較的高温度になると刺激性の強いタール臭に変わる。坑内では臭気が拡散しにくいので、この臭気は、その現場の巡回者だけでなく、風下であれば約一〇〇メートル離れていても誰にでも容易に感知され得るのである。このほか、自然発火には、炭壁温度の上昇、それに伴つて炭壁が汗をかく(水滴が附着すること)、もやがかかる、あるいは一酸化炭素ガスが発生して増量する等多くの前兆が少なくとも数日前から現われるので、自然発火を事前に発見することは極めて容易である。

したがつて、もし、本件火災の原因が○片材料線坑道の炭壁等からの自然発火だと仮定すれば、当然にこれらの前兆が少なくとも数日前から現われており、同坑道の巡回点検者等が容易にそれを発見できたはずであるが、誰一人として自然発火の兆候を感知し得た者はいない。

(3) ○片材料線坑道及び三五〇メートル連延坑道の五目抜ないし八目抜附近は、通気係の検定員又は検定工が毎日一回巡回点検し、特に週二回は右坑道の密閉内の一酸化炭素ガスを観測し、更に常一番の通気係員が月二回右坑道を巡回点検することになつており、そのとおり実施されてきた。また、他の通気係員が炭じん調査やガス自動警報器受感部点検のため○片材料線坑道を巡回し、そのほか通気係の測定工が月一回同坑道の風量を測定することになつており、そのとおり実施されてきた。

なお、○片材料線坑道には通気休憩所、測量休憩所及び安全推進員休憩所があつて、もし、同坑道で自然発火の兆候が現われれば、そこで休憩する者も容易にそれを感知できたはずである。しかし、

(イ) 本件事故発生の前日である昭和四二年九月二七日午前一一時ごろから、通気係員長谷川克己は三五〇メートル連延坑道の五目抜ないし九目抜間を後記連排密閉の点検を含めて巡回点検し、また、同日午後一時五〇分ころから同日午後二時一〇分ころまで○片材料線坑道の通気休憩所にいたが、その間自然発火の兆候はなにも認めていない。

(ロ) 同日午前九時二〇分ころから、検定工大津秀夫は三五〇メートル連延坑道の風橋ないし五目抜間を前記連排密閉内のガス観測を含めて巡回点検し、同一〇時三〇分ごろから○片材料線坑道全体と同坑道の各密閉を巡回点検したが、自然発火の兆候は全く認められなかつた。

(ハ) 同月二二日午後一時ころ、通気係の鉱員永尾隆延と鶴川悟志は○片材料線坑道を通つて上層二一ホーリング座裏密閉のガス自動警報器の受感部を点検し、また、四月二七日午前九時三〇分ころ、測定工吉本五男は○片材料線坑道で測風したが、いずれも自然発火の兆候を認めていない。

(ニ) 本件事故発生の前日である同月二七日午前一一時五〇分ごろから午後一時五〇分ごろまで、測量係員松尾善治は他の鉱員七名とともに前記測量休憩所で休憩し、また、同日午前九時二〇分ころから約二〇分間安全推進員の下川勝及び同富安祐二が前記安全推進員休憩所で休憩したが、いずれも自然発火の兆候を認めていない。

以上のとおりであるから、本件火災の原因が○片材料線坑道の炭壁もしくは炭壁の崩落、盤ぶくれ等により堆積附着した石炭からの自然発火とは、とうてい考えられない。

(二)(1) 上層二一卸採掘跡と○片材料線坑道との間には約四五メートルの保安炭柱を残してあるので、右採掘跡に火災が起つたとしても、それが右保安炭柱を伝わつて○片材料線坑道に達することは通常考えられない。かりにそのようなことがあつたとすれば、○片材料線坑道において、炭壁の温度が上昇するとか、三五〇メートル連延坑道と上層二一卸連卸坑道との接続部密閉(以下、連排竪坑密閉という)点検の際に、臭気が感ぜられるとか、多量の一酸化炭素ガスが検出される等の兆候が、少なくとも本件火災発生の数日前から必ず認められるはずであるが、そのような兆候はなにも認められなかつた。

(2) 昭和三九年四月二九日に発生した上層二一卸右三片の火災が本件火災発生時において完全に鎮火していたかどうかは不明であるが、前記連排竪坑密閉及び上層二一卸真卸坑道一片の密閉(以下、真卸密閉という)のガス検定において、本件火災発生当時、一酸化炭素ガスが検出されていないので、右火災はほとんど鎮火していたといえる程度に安定していたことが明らかである。更に被告は、右火災発生後、右一片から同三片までの間に消火並びに通気遮断のため、真卸坑道、連卸坑道とも三重に密閉を施し、○片材料線坑道に隣接する真卸密閉や前記連排竪坑密閉等は、検定係員又は検定工に毎日巡回点検させ、週二回は密閉内の一酸化炭素ガスの観測をさせるとともに、真卸密閉に、もし、亀裂が生じるようなことがあれば、直ちに甘皮目ぬりの工事等ができるよう、その設置・保存に万全を期してきたものである。したがつて、右三片の火災が上層二一卸真卸坑道又は同連卸坑道を通つて○片材料線坑道に伝わることは、およそ考えられないことであるが、かりにそのようなことがあるとすれば、少なくとも数日前から密閉内ガス検定の際に臭気が感ぜられるとともに一酸化炭素ガスが多量に検出され、また、温度の上昇あるいは炭壁面が汗をかく等の巡回点検者には一見して認識できる顕著な兆候が現われるはずである。しかるに、本件事故発生前そのような兆候は全く現われなかつた。

6  同2の(二)及び(三)で被告に坑内の設置・保存の瑕疵があつたとの主張はすべて否認するが、○片材料線坑道の屈曲部分にコンクリートライニングを施していなかつたことは認める。

ところで、炭鉱における坑道その他の地下工作物(以下坑道等ということがある)は、地中に埋蔵されている石炭を採掘する目的で地下に構築される構築物である。それは大地を深く掘さくして炭層に接近もしくは接着し又は炭層そのものの中に設置されるが、周辺の地質、岩質、炭層の状態等は多種多様であるうえ、褶曲や断層もあり、坑道等の環境はきわめて複雑である。しかもそれは、地下深くのことであるから直接に眼で確かめることができないのはもちろん、現代最高の科学技術をもつてしても、右環境の全貌を正確に把握することは不可能である。一方、坑道等には、常に地圧がかかり、地下水が湧出し、ガスが発生し、深度に比例して温度も上昇する。のみならず、これらの環境及び自然現象は、時間の経過や採炭作業の進行に伴なう作業現場の移動につれて時々刻々に変化する。採炭作業は、このようなきわめて特殊な自然条件の下にある坑内において行なわれるのであるから、石炭そのものの化学的性質とも相まつて、事故が発生する相当の危険性を伴なうことを免れることができない。鉱山保安法、石炭鉱山保安規則等の法令による厳格な規制と監督とが企業者及び従業員の双方に加えられているのも、まさにそのためである。したがつて、石炭企業者は、坑道等の設置保存につき右関係法令を遵守し、その当時、炭鉱において必要かつ相当と認められている物的及び人的の手段を尽して坑内における事故発生の防止に努力しているのである。しかしながら、企業者がいかに努力しても、坑道等の前記特殊性のゆえに事故の発生を防止し得ない場合がある。そして、以上の事実は、炭鉱における工作物の設置保存につき瑕疵の有無を判断する場合に当然考慮されなければならない。

民法七一七条は、土地の工作物の設置保存に「瑕疵」があつたことを同条の責任の成立要件とする。すなわち、それは工作物の設置保存の「瑕疵」が原因となつて他人に損害を生じた場合の賠償責任を定めた規定であつて、本条にいう「瑕疵」とは、そのものが本来備えているべき性質や設備を欠くことをいうものと解すべきであるから、工作物において事故が発生し他人が損害を蒙むつた事実があつたとしても、その事故が、工作物の設置保存につき右のような欠陥があり、それが原因となつて発生したものでなければ、工作物の占有者または所有者(企業者)は、その損害につき賠償の責任を負うものではない。したがつて本件のように坑道等において火災が発生し従業員の死傷事故を生じた事案において、右事故の原因のいかんにかかわらず(原因が不明であつても)、企業者は当然に同条の責任を負うべきものと解することはもちろん誤りである。また、坑内において火災が発生し、従業員が死傷した以上、右事故は当然坑道等の設置保存の「瑕疵」によるものとみるべきだとする(事故発生の事実から逆に「瑕疵」の存在を推定する)ことも不当である。何となれば、もし右の見解に従うならば、企業者はすべての場合に完全な結果責任を負うこととなり、同条が「瑕疵」を要件と定めたことは全く無意味に帰するからである。

本条にいう前記「瑕疵」の意義にかんがみ、石炭企業者の責任は坑道等の設置保存につき、保安関係法令を遵守し、その当時、炭鉱において必要かつ相当と認められている事故発生の防止措置を講じていた事実があれば、事故の原因が何であろうと、もはやその事故は民法七一七条にいう「瑕疵」によるものではないとして免責されると解するのが正当である。なぜならば、右のように解することによつて、はじめて民法七一七条が「瑕疵」を要件と定めたことが意味をもつばかりでなく、冒頭に述べたようなきわめて特殊な条件下にある坑道等において事故が発生した場合に企業者、被害者間の利害の調整を図り不法行為制度における衡平を実現するうえでも、最も妥当な結果が得られるからである。

被告は、本件坑道等については、危険(坑内火災等)の発生を防止するため、保安関係法令所定の保安規準を遵守するとともに現代科学のもとにおける地質調査上の知識と技術及び採鉱上の知識と技術の各水準に照らし、必要かつ相当と認められる手段方法を講じて設置しかつ保存していた。

本件坑道等の具体的な設置保存の状況は次のとおりである。

(一) ○片材料線坑道を入気バイパス坑道として使用するにいたつた経緯

○片材料線坑道は上層二一卸部内の採掘作業に要する材料等を運搬する目的で昭和三二年から昭和三四年にかけて掘さくされた坑道であつたが、昭和三九年四月二九日、同部内の右三片補扇座附近の坑内火災の発生により同部内の採掘を中止して同部内全体を密閉したため、材料運搬坑道として使用する必要はなくなつた。

ところで、上層二一卸部内の密閉により同部内へ流れていた通気の全部が三五〇メートル本延坑道に流れることになつて通気量がふえる結果、同坑道の一部において石炭坑山保安規則九二条一項に定める毎分四五〇メートルの風速制限を超過するという現象が生ずるため、同坑道の通気量を減らす方法として、同坑道から毎分一、一〇〇立方メートルの通気を分流させることとし、これを分流させるための坑道として○片材料線坑道をあてることにし、以降○片材料線坑道は、三五〇メートル本延坑道の入気バイパス坑道として本件火災発生時まで使用された。

(二) ○片材料線坑道とその周辺の坑道における坑内火災の防止

(1) ○片材料線坑道とその周辺の坑道の構造

旧材料線坑道は、上層二一卸部内の採掘準備中その間の諸材料を運搬する坑道として掘進し使用されていた全長約九三メートルの沿層坑道であるが、その後、新しく○片材料線坑道が掘さくされたため不要となつたものである。

○片材料線坑道は、入気バイパス坑道として使用を始めた時点で、その全長四一二メートルのうち直線部分の約二一六メートルが岩盤坑道、直線部分の約一五メートル及び屈曲部分の約五六メートル、合計約七一メートルが半岩盤坑道、その余の屈曲部分の約七五メートルが沿層坑道となつていた。○片材料線坑道の捲立部分人口から約四八メートル進んだ地点に、同坑道と交叉している前記旧材料線坑道がある。なお、同坑道のうち、右交叉部分から上層二一卸真卸坑道とつながつた部分の坑道を特に人道と呼んでいた。また、前記捲立部分において○片材料線坑道とつながつている上層二一卸真卸坑道は、三五〇メートル本延坑道の入気竪坑より前記真卸密閉まで約一二九メートルの沿層坑道である。

(2) 自然発火の防止

(イ) このうち、岩盤坑道は周囲がすべて岩盤となつているので、構造上、自然発火の起りえない坑道であることはいうまでもない。半岩盤坑道及び沿層坑道は、天盤がいずれも岩盤で、両側壁の一部又は全部と下盤が石炭となつているものであるが、その天盤は強固な砂岩層でできているので、荷圧もかからず、とくに安定した炭層部分であつた。

また、○片材料線坑道と三五〇メートル連延坑道との間には、半岩盤坑道の部分で最低約二三メートル、沿層坑道部分で約四五メートルの保安炭柱を残し、○片材料線坑道と上層二一卸採掘跡(右○片)との間には、最低で約四五メートルの保安炭柱を残していたので、同坑道の周囲から同坑道へ荷圧を及ぼすおそれもなく安定した状況にあつた。のみならず、同坑道を入気バイパス坑道として使用するようになつた昭和三九年は、同坑道が掘さくされた昭和三二年ないし昭和三四年から既に五年ないし七年を経過しており、かつ、この間同坑道周辺において被告が新たに石炭採掘を行つた事実もなかつたから、同坑道はこの意味でも物理的に安定していた。

以上のとおり、○片材料線坑道とその周辺における坑道の地盤構造は物理的に堅牢であり安定していたから、同坑道が自然発火の原因となるような新たな亀裂や盤ぶくれを生じたり、その石炭が崩落したり粉砕したりする条件は全くなかつた。

そしてまた、三池炭鉱では一般に漏風する可能性のない保安炭柱の幅として、岩盤の場合には一〇メートル、炭層の場合には二〇メートルで安全とされているのであるが、前記のように、○片材料線坑道周辺の保安炭柱の幅は、昇り側において最低約二三メートル、卸し側において最低約四五メートルあつたのであるから、同坑道と三五〇メートル連延坑道又は上層二一卸採掘跡との間に漏風が起る可能性は絶無であり、同坑道の昇り側及び卸し側は漏風に対してもまた十分に安全であつた。漏風に関して附言すれば、○片材料線坑道と上層二一卸真卸坑道との分岐点の箇所にある三角炭部分においても、いわゆる最少仕事法則と風の圧力差がないことから両坑道間に漏風が起こる可能性は全くなかつた。

更に、○片材料線坑道は常に乾燥しかつ地熱も低い坑道であつたし、そのうえ同坑道には常時毎分一、一〇〇立方メートルという多量の入気が毎分一一〇メートルの速度で流れており、それは当然冷却作用を営み、熱の蓄積を防止するものであるから、同坑道は自然発火を起こす条件を持たない坑道であるということができる。

以下のことは、同坑道を入気バイパスとして使用する際行つた調査検討によつても確認されたし、同坑道の周囲の炭層には酸素の供給源となるような亀裂はなかつた。

そしてまた、同坑道の石炭は、同坑道が入気バイパス坑道として使用されるにいたるまで前記のとおり五年ないし七年にわたり通気にさらされていたものであるから、自然発火の誘因たる酸化現象を起すような新鮮な石炭でもなかつた。

したがつて、以上のような状態であつたから、同坑道の沿層部分には自然発火防止のため、特にコンクリートライニングを施す必要はなかつた。

(ロ) 被告は、先に述べたように旧材料線坑道が不要となつた後、○片材料線坑道から三五〇メートル連延坑道へ通気が短絡することを防止する目的で、旧材料線坑道に密閉を構築することとし、まず同坑道の三五〇メートル連延坑道側に密閉を施し、更に通気遮断を確実にするため、昭和三八年二月一八日旧材料線坑道の○片材料線坑道側にも密閉を構築し、観測パイプ、水柱計等内部状況を観測する施設を設置した。なお昭和三七年七月には三五〇メートル連延坑道にコンクリートライニングを施したので、結局旧材料線坑道は三重に遮断された形になり、このような遮断方法により通気遮断の目的は完全に達成された。

(3) その他の坑内火災の防止

○片材料線坑道、人道、上層二一卸真卸坑道等の○片材料線坑道とその周辺の坑道は作業を行つている場所ではなく、トロリー線もなかつたし、電気設備や機械設備もなかつた。

したがつて、およそ火源となりうるものは何一つ存在せず坑内火災が発生するような恐れは全くなかつた。

附言すれば、○片材料線坑道は、ガス炭じんも存在しない安全な坑道であつたので、本件火災発生時には石炭鉱山保安規則六条にいう特免区域の適用を受けていた道である。

(4) その維持管理状況

(イ) ところで、坑道等の状況は時の経過に応じて変化する可能性があるので、被告は○片材料線坑道及びその周辺の坑道における万一の自然発火の発生に備えて、同坑道が自然発火を発生させる条件を持つにいたつたか否か、自然発火の兆候が認められるか否かを事前に探知するため、定期的にかつ継続的に通気係による各坑道及び密閉の巡回、点検、観測を実施してきた。そしてもし炭壁や密閉に亀裂、漏風、自然発火の兆候その他の異変が発生した場合には直ちにこれを把握して敏速にこれに対処する体制をしいていたが、本件火災発生にいたるまで、坑道及び密閉には何らの異常もなかつた。

一般に、密閉の内と外では温度、気圧差、ガスの種類及び量が異なるから測定器具を携帯したりして、密閉内外の温度、気圧差、ガスの種類及び量並びに漏風の有無を測定し、その変化を見ることによつて、密閉の効果及び密閉内における変化、自然発火の兆候、その他の異常現象を探知することができるものであり、その結果、早急に対策を講ずることにより保安の確保を全うすることが可能である。

(ロ) また、○片材料線坑道の通気状況をみると、同坑道に入つた風は風下の通気休憩所、測量休憩所、安全推進員休憩所を経由して二四昇旧竪坑から再び三五〇メートル本延坑道へと入り同坑道の人車乗降場の方へ流れる通気構造となつていた。したがつて、万一○片材料線坑道に自然発火が起こる場合には、その兆候である臭気、煙等は、前記三休憩所に毎日のようにいる従業員にはもちろんのこと、前記三五〇メートル本延坑道を常時往来している多数の従業員の誰にでも直ちに覚知されるものである。

一方かりに○片材料線坑道と三五〇メートル連延坑道との間の炭層内に両坑道に通ずる亀裂があつて、そこへの漏風によつて自然発火が発生するとすれば、両坑道には負圧差があるため自然発火にいたる段階に応じその兆候である臭気、煙等は負圧の低い三五〇メートル連延坑道に流れていくのであるから、同坑道を巡回する人々によつても覚知されるものである。

それにもかかわらず、前記○片材料線坑道、三五〇メートル本延坑道及び三五〇メートル連延坑道を常時往来していた多数の従業員のうち一人として右のような異常を認めた者はいなかつた。

(三) 上層二一卸採掘跡からの延焼防止

(1) 上層二一卸採掘跡自体の自然発火の防止

上層二一卸は左一片払から左五片払(ただし、左四片と左五片は柱房式切羽であつた)まである左部内と右一片払から右四片払まである右部内に分れていたが、先に左部内の採掘を左一片払から始め、各片の採掘終了時にそれぞれ必要な採掘跡の密閉を完了しながら左五片払まで採掘したので、左部内の採掘終了時には左一片から左五片までの採掘跡の密閉もすべて完了していた。ついで、同卸右部内の採掘を右一片払から始めたのであるが、各片の採掘終了時には左部内の場合と同様に採掘跡を密閉しながら右四片払いまで採掘してきたところ、右三片補扇座附近に坑内火災が発生して採掘を中止したので、結局右部内は、右一片払から右三片払までの採掘跡を全部密閉完了したこととなつた。

そして以上の二一卸採掘跡の密閉は、すべて採掘終了に際しての密閉方法として完全なものであり、空気の供給は完全に遮断されていた。したがつて、上層二一卸採掘跡は自然発火が発生するような状態にはなかつた。

(2) 上層二一卸右三片坑内火災の密閉措置

前述のとおり、昭和三九年四月二九日上層二一卸右三片補扇座附近に坑内火災が発生したが、被告は、通気を遮断して消火するため、同火災の発生直後、補扇座附近を局部的に密閉し、ついで上層二一卸右○片から右三片の間に真卸坑道(入気坑道)、同連卸坑道(排気坑道)とも二重の密閉を施し、最終的には昭和四〇年三月三一日、上層二一卸真卸坑道に真卸密閉を、同年二月二二日同二一卸連卸坑道に連排竪坑密閉を各構築した。

ついで、上層二一卸真卸坑道の一目抜及び二目抜より同二一卸連卸坑道に通気が短絡することを防止し前記真卸密閉及び連排竪坑密閉の通気遮断を完全にする目的で昭和四〇年三月二日一目抜密閉を、同年三月二四日二目抜密閉を各構築した。

以上の各密閉を施す以前は上層左右両部内には真卸坑道を通つて入気が入り、連排竪坑に排気が流れていたので、以上の各密閉を構築することによつて、被告は上層二一卸部内の入気側並びに排気側を完全に密閉してその通気を遮断し、観測パイプ、水柱計等を設置した。

以上の密閉完成の結果、上層二一卸部内へ新たに空気が流入したり、同部内から排気側へ空気が流出したりすることを完全に防止したので、上層二一卸部内の火災が拡大したり伝播したりするおそれは全くなくなつていた。

(3) 密閉の管理維持状況

本件火災当時、○片材料線坑道附近の巡回、点検、観測(以下点検、観測を検定ということがある)すべき密閉としては旧材料線密閉、一目抜密閉、二目抜密閉、真卸密閉及び連排竪坑密閉の五密閉があつたが、これら密閉を巡回し検定する業務は通気係においてその業務の一つとして担当しており、三交代検定係員及び検定工が管理者(採鉱副長)の定めた基準に従つて、旧材料線密閉は特免坑道隣接密閉として毎日一回、真卸密閉及び連排竪坑密閉は毎日一回、一目抜密閉及び二目抜密閉は毎月一回、それぞれ巡回検定を継続して実施していた。そして絶えず密閉内外のガス、温度、気圧差、漏風の有無等の検定を行ない、その際密閉に漏風その他修理すべき点があれば直ちに甘皮補修その他必要な修復作業を行なつてきた。

なお、真卸密閉及び連排竪坑密閉の検定の結果、右三片補扇座附近に発生した火災は鎮火状況にあつたが、念のために引続き同密閉内部の状況を把握するため、本件火災当時も真卸密閉及び連排竪坑密閉を毎日一回巡回し、検定していたものである。

そのほか、常一番通気係員が毎月二回、通気調査係の測定工が毎月一回、それぞれ前記各密閉を巡回して検定していた。

しかしながら、本件火災の発生をみるまでに以上の巡回検定の結果からは上層二一卸採掘跡における酸化現象の進行その他の異常はなかつた。したがつて上層二一卸採掘跡から火災が坑道を伝わつたり、保安炭柱を伝わつたりして○片材料線坑道へ延焼するということは全くありえないことである。

(四) 坑内火災に対するその他の保安体制

三川鉱においては、鉱長及び副長が副保安技術管理者として三川鉱の保安全般の業務を担当し、常時各関係部門から報告される資料に基づいて保安上の指示を与えるとともに、定期的に坑内精密点検を行ない、必要に応じ随時現場点検を行なつていた。また、三川鉱全体の保安調査、教育、研究等を担当する保安係を設け、同係員は常に坑内を巡視して保安調査を行ない上司に報告するなど保安確保に専念していた。

更に保安確保を期するため、鉱山保安法に基づき選任された保安監督員及び保安監督員補佐員や保安委員又は被告と労働組合間で設置を決めた安全推進員が三川鉱に常駐しており、保安監督員は坑内施設その他の保安上の問題点を保安統括者、保安技術管理者等に勧告するため、保安監督員補佐員は保安監督員の右業務を補佐するため、保安委員は保安状況を調査し保安統括者の諮問に応ずるため、安全推進員は坑内の保安上の問題点を保安係長に意見具申するため、いずれも毎日三川鉱坑内を巡視していた。

なお、坑内で日常の作業に従事する係長や係員はすべて鉱山保安法に定められた保安技術職員であつて坑内保安の確保について責任を負わされていることはいうまでもないので、これらの人々も自然発火等災害を生ずる恐れのある箇所を発見したときは速やかに対策を講じてその発生を未然に防止し、また、臭気、炭壁温度の上昇、発汗などの自然発火の兆候があれば、これをいち早く探知し直ちに対策を講ずることができる体制にあつた。

この点を本件について具体的に述べれば、○片材料線坑道とその附近に自然発火等の異変が発生した場合には、前述のように三五〇メートル本延坑道の五目抜ないし九目抜又は人車乗降場周辺にいる多数の係員や三五〇メートル連延坑道を通行する多数の係員の誰でもがこれを容易に察知することが可能な状態にあつた。

附言すれば、福岡鉱山保安監督局の鉱務監督官も随時、三川鉱の坑内巡視を継続していたのであるが、被告は本件火災発生にいたるまでの間、同監督官から○片材料線坑道とその周辺の保坑状況についてなんらの保安上の注意又は改善方の指示も受けたことはなかつた。

これを要するに本件火災は以上の通気係又は通気係以外の従業員などによる厳重な人的保安監視体制の下にあつても遂に捕捉し防止し得ることのできなかつた突発的な異常火災であつた。

(五) 退避訓練

万一、坑内火災等災害の発生をみた場合に備え、被告は従業員を敏速かつ安全に避難させるべく、三川鉱全体において全員参加による退避訓練を行なつていた。

訓練の方法としては、一般的には鉱長、副長がある災害発生を想定し、その指示のもとに三交代係長がその災害発生の事実を電話、誘導無線などで坑内作業現場に緊急連絡し、同連絡を受けた係員は予め決められている連絡系統に基づいて坑内作業者に対し災害の発生を迅速確実に連絡し、坑内作業者は係員の指示に従い、集団又は個別に安全な個所に誘導、退避するという訓練であり、石炭鉱山保安規則では六ケ月に一回実施することになつていたのであるが、三川鉱においてこの訓練を三ケ月に一回行なつて万一の事態に備えていた。

これを本件について具体的に説明すると、上層二六卸ホーリングの運転手であつた孝知への連絡系統は、作業中の災害発生の場合には、災害発生の連絡を受けた係員が上層二六卸 No.1 BC当番の訴外渡辺貫一に電話にて連絡し、右渡辺が五〇メートル離れたホーリング座にいる孝知のところに行つて口頭で孝知に連絡する方法によるとともに、上層二六卸坑道の各所に設けられた信号ボタンによつて右ホーリング座に備えつけてある信号ベルを二〇連打することにより、ホーリング座に働いている考知へ災害発生を連絡するようにもなつていた。そして、このような連絡に接した孝知は、直ちにBC当番渡辺のいる定位置に難避、集合し、ここから係員の指示のもとに退避するように決められており、その通りの訓練を受けていた。

また、作業員は作業終了後は後述するような係員の上り着到を受けるため九目抜の人車乗降場で待機するよう義務づけられていたので、災害発生が作業終了後の場合であれば、孝知らは右人車乗降場で係員の緊急連絡を受け、その指示で集団となつて退避するように決められており、その通り訓練されていた。

本件火災の発生は、作業終了後であつたので、本件火災発生前に作業を終了した孝知は当然平常どおり上り着到を受けるため人車乗降場にて待機しておるべきところ、何故か同所にいなかつたため、その場に待機していた他の鉱員とともに集団となつて退避することができなかつたものであり、また係員が念のために行なつた前記作業中の災害発生の場合の二方法による事故発生の緊急連絡も同人が作業場所である上層二六卸ホーリング座にも不在であつたため徒労に帰した。

なお、上り着到というのは炭鉱における保安上の要請から鉱員が作業を終了して昇坑するに当り係員が点呼を行なうなどの方法で確実にその指揮下にある人員を把握するために行なうものであり、三川鉱においては災害時のみでなく、日常これを実施している。

(六) まとめ

(1) 以上述べたとおり、被告は本件火災の発生をみた○片材料線坑道並びにその周辺の坑内施設を構造上からも、また通気上からも自然発火その他の火災を生じたり延焼をもたらしたりすることのないよう、その設置保存に十分な措置を講じていたのであり、万一自然発火の兆候その他の異変が生じた場合にも事前にこれを察知し得るに十分な物的構造並びに人的管理体制を完備していたのであるから、右坑道等は炭鉱における工作物として備えるべき十分な安全性を有していたものである。

以上のとおりであるから、本件火災は被告の坑内の工作物の設置又は保存に欠陥があつたがための火災であると言うことはできない。

(2) 本件火災はきわめて短時間のうちに突発的に燃えひろがつた異常な火災であるということができる。そのことは、本件火災が被告会社の以上述べたような二重、三重の安全体制による不断の保安努力にもかかわらず、ついに発生の兆候すら認識することができなかつたという点と、本件火災を最初に発見した運搬係員入江幸三郎が三五〇メートル本延坑道において異常な臭気を感じた後、約二・三分後には二四昇旧竪坑から薄い煙が流れ出ているのを見たと述べ、その六・七分後にはもうその薄煙が真黒い煙に変つてもくもくと増えてきたと述べていることから明らかである。

巡回検定等人的管理体制を含めて以上述べてきた被告の二重三重の安全体制によつてもついに捕え得なかつた本件火災の原因は被告によつても今もつて不可解な謎であるが、以上の諸点から考えると、本件火災は客観的にも予見不可能な原因不明の異常な火災であるから被告にその責任を問い得るものではない。

7  同3の事実は認める。

8  同4の(一)の(1)のうち孝知が昭和一二年九月二〇日生れで死亡当時満三〇歳であつたこと、同人の死亡当時の賃金が一カ月金二万八八九〇円であつたことは認めるが被告にはなんら賠償責任はない。

9  同4の(一)の(2)、(3)及び(二)の事実はすべて否認する。

三、被告の坑弁

1  本件火災は不可坑力によるものである。

すなわち、すでに詳述したとおり、被告は本件坑道等を物的にも人的にも瑕疵なく設置しかつ保存してきたものであるが、それにもかかわらず本件火災の発生をみたものである。

本件火災は、その原因がもしかりに原告ら主張するごとく自然発火であるとするならば、通常の場合と異なり、兆候をキャッチしてから火災に至るまでの時間が数分の極めて短い異常突発的なものであり、このような自然発火は、被告においてその発生を防止することが不可能なものであつて、不可抗力によるものといわざるをえず、被告にはなんらの責任はない。

2  被告は、本件火災が発生した昭和四二年九月二八日の午後九時三〇分ころ、被告会社と日本炭鉱労働組合との間で取交わされた昭和四一年五月六日付覚書において扶養家族を有する組合員が業務上死亡した場合は総額八〇万円(税込)の弔慰金を遺族に支給する旨協定されていたため、その協定どおり弔慰金八〇万円中七〇万円(団体生命保険による一〇万円は別途支給)を持参し、孝知の霊前に供えた。しかし原告らはホフマン方式で計算した額で支給せよと要求し激しく迫つたので、被告は終始、弔慰金に関しては前記覚書によつて協定されているので、もし不満があれば三池労組を通じて被告と話合うようにしてくれと繰返し主張した。一方原告らから交渉の委任を受けた三池労組は被告に対し、昭和四二年九月二九日付要求書を提出し、その要求項目の一つとして孝知の遺族に対する弔慰金としては七〇〇万円ないし八〇〇万円を支給するのが当然であり、その金額については別途協議したい旨要求してきた。この要求に対し、被告は中央(東京)で行なわれる団体交渉において解決を図りたい旨回答し、三池労組も、これを諒承した。

以上の経緯に基づき、昭和四二年一二月五日から中央での団体交渉が開かれ、孝知の遺族に対する弔慰金は総額一〇〇万円とすることで諒解が成立し、昭和四三年一月月二五日、被告と日本炭鉱労働組合および三池労組が協定書に調印するに至つた。

この協定書によつて、一般の業務上死亡による遺族に対する弔慰金は従来どおり八〇万円であるけれども、孝知の遺族に対する弔慰金については特に一〇〇万円を支給することになつた。

したがつて本件事故による孝知及びその遺族である原告の損害補償については、被告が原告らに対し弔慰金一〇〇万円を支給するということで既に解決ずみであるから、原告らが被告に対し本訴において右一〇〇万円の支払いとは別個に損害賠償の請求をすることは失当である。

3  孝知の死亡は、同人の後記の重大な過失ある行為によるものであるから、過失相殺により、その損害額の相当割合が減額さるべきである。

すなわち、ホーリング運転手の孝知としては、上層二六卸坑道を昇坑する従業員の安全のために午前五時二五分以降ホーリングの巻揚が禁止になる関係で、平素、大体午前五時過ぎには巻運転を終了しており、終了後はホーリングの点検補修をすることなく直ちにホーリング座を離れて五分ぐらいの道のりを歩いて三五〇メートル本延坑道の九目抜人車乗降場に行き、ここで待機して五時五六分発の昇坑人車が列着する前に行なわれる上り着到を受けることが保安上の要請として義務づけられていた。このように、作業終了後の孝知の行動を義務づけていたのは、坑内での災害等不慮の事態発生に備えて、被告として常に従業員の所在を確実に把握し、係員の指揮下に掌握しておくべき高度の保安上の必要があつたからである。

そして、本件火災の当日も、孝知は普段と同様に午前五時一〇分に巻揚作業を終了していることが確認されているから、本来ならそのまま直ちに前記人車乗降場に赴いて、遅くとも午前五時一五分ころ以降は右乗降場で上り着到を受けるべく待機すべきはずのものであつた。それにもかかわらず、なぜか本件火災発生当時、その所在が不明であつた。

このように孝知は、かねて指示されていた保安上の義務に反した異常な行動をとつたため、本来なら午前五時五〇分ころに行なわれた入江幸三郎係員の退避指示により同部内の他の作業員らとともに安全に退避することができたにもかかわらず、これも叶わずにただ一人だけ死に至つたものである。

四、抗弁に対する原告らの答弁

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実は認める。しかし、弔慰金の支払いによつて被告の損害賠償義務が免かれる趣旨ではなく、これは単なる「見舞金」の額を定めたものにすぎない。

ちなみに原告らは右金員の趣旨についての争いを避けるため、右一〇〇万円の受領を今日まで拒絶している。

3  同3の孝知に過失があつたとの主張は否認する。

ある災害がその範囲及び質において大規模な形態をとり、しかもその被害者が多数に及んだ場合においては、被害者個個人の行動については確定しえないのであり、また、現に他にも多数の被害者がでているという全体から観察するならば、一人、一人の被害者に若干不可解な行動があつたと想像される場合においても、全体の局面から総合して、過失を問題とすることは相当でない。

具体的にも、孝知の行動に過失はない。孝知ら従業員に基本的に課せられるのは、五時五六分の人車で昇坑する前に係員によつて行なわれる上り着到に間に合うよう人車乗降場に到着し着到を受ける義務である。人車乗降場についてから上り着到を受けるまでの間は、乗降場で休息しているだけであつて特段のことはないからである。しかして諸般の状況からすると、孝知はホーリング座から人車乗降場に向う途中で煙に逢い、あわてて緊急時の集合場所である人車乗降場に来たときには既に五時五〇分を過ぎ、そこには誰も居なかつたし、煙も相当ひどい状況となつたので、それから上層二六卸坑道を四五〇メートル坑道方面に向つて退避して行つたが、ついに逃げきれず死亡するに至つたものと推測される。ところで当日の上り着到をする係員でさえ五時五〇分には人車乗降場に到着していなかつた。そうすると、孝知が五時五〇分前に人車乗降場に到着していなかつたからといつて、同人が五時五六分に至るも人車乗降場に到着していなかつたとする証拠もないのであるから、同人に「重大な過失」があつたということはできない。

第三  証拠<略>

理由

一本件事故の発生について

被告が大牟田市に三川、四山、宮浦の各鉱からなる三池鉱業所という炭鉱を設け、石炭の採掘販売等を営む会社であること、孝知が被告に雇用され、昭和四二年九月二八日当時は右三池鉱業所三川鉱に坑内機械工として勤務していたこと、ところが同日、三川鉱○片材料線坑道附近に本件火災が起り、それに伴つて発生した一酸化炭素ガス、炭酸ガス等のいわゆる跡ガスがしだいに坑内に流れていつたこと、しかして孝知は本件火災発生当時、火災発生場所より坑内の通気上は下流に当る上層二六卸ホーリング座附近で働いていたが、本件火災により発生したガスに追われて退避中、上層二六卸坑道二片附近でついに右跡ガスによつて中毒死亡するに至つたこと、はいずれも当事者に争いがなく、証人入江幸三郎の証言によれば、本件火災の発生が被告従業員によつて最初に発見された時刻は、同日午前五時四〇分ごろであつたと認められる。

二被告の責任

1  本件火災が発生した三川鉱○片材料線坑道を含む本件炭鉱の坑内は、地下に人工的に設備されたもので、民法七一七条にいう土地の工作物に該当するものと解するのが相当であり(なお、以上のように解することについては当事者双方の見解は一致している)、被告が右坑道を含む本件炭鉱の坑内を占有し、かつ所有していることは当事者間に争いがない。

2  本件火災発生の位置とその原因について

(一)  ○片材料線坑道とその周辺の坑道等の概要

まず本件火災発生の位置とその原因について判断を進める前提として必要な範囲内において三川鉱○片材料線坑道及びその周辺の坑道等の状況並びにその内部の通気の流れを概観する。

<証拠>を総合すると次のような事実を認めることができ、その認定を左右するに足りるような証拠はない。

すなわち、

(1) ○片材料線坑道、三五〇メートル本延坑道、同連延坑道、旧材料線坑道、人道、上層二一卸真卸坑道、同連卸坑道、同連排竪坑、左○片坑道、上層二一卸採掘跡、○片材料線坑道上の安全推進員休憩所、測量休憩所、通気休憩所、上層二一卸入気竪坑、二四昇旧竪坑、三五〇メートル本延坑道九目抜人車乗降場の各位置及び上層二一卸旧ホーリング裏密閉、同真卸密閉、同一目抜密閉、同二目抜密閉、同連排竪坑密閉、旧材料線密閉など右各坑道周辺の各密閉の位置、構造、並びにこれらが相互の距離、交叉状況その他の関係の概略は、別紙図面表示のとおりである。

(2) 右坑道等の内部には坑内作業員に新鮮な空気を送り、有害ガスを薄めて坑外に運んで排出し、地熱等による温度を引き下げることによつて作業環境を快適にするために通気がなされているが、その通気の流れは、まず、三五〇メートル本延坑道が三川鉱の主入気坑道で別紙図面上では右から左へ流れ、○片材料線坑道も後記のとおり本件火災発生当時は三五〇メートル本延坑道の入気バイパス坑道としてのみ使用されていたものであるが、その通気の流れは、三五〇メートル本延坑道から上層二一卸入気竪坑を通じて同真卸坑道に分流され、同坑道から分岐する○片材料線坑道の屈曲部分等を通つて同坑道の三五〇メートル連延坑道と並行する直線部分を三五〇メートル本延坑道と同じく右から左への方向に流れ、その風下に当る安全推進員休憩所、測量休憩所及び通気休憩所等を経由して二四昇旧竪坑に通じ、同所から三五〇メートル本延坑道の通気と再び合流し、更に同坑道を左の方へ行き、同坑道九目抜人車乗降場並びに上層西二六ホーリング座、上層二六卸坑道二片等の方向へ流れる仕組となつていた。

一方、三五〇メートル連延坑道は三川鉱の主排気坑道として使用され、通気は右入気とは反対の方向、つまり別紙図面上では左から右へと流れていた。

なお、○片材料線坑道は、その平均断面積が約一〇平方メートルで、これを常時毎分一、一〇〇立方メートルの風量の入気が毎分一一〇メートルの速度で流れていて、並行する三五〇メートル連延坑道(主排気坑道)との間の通気圧の差は、水柱差にして約五〇ないし六〇ミリメートルあり、一平方メートルあたり五〇ないし六〇キログラムの圧力が加わつていた。

(3) ○片材料線坑道は、上層二一卸部内の採掘作業に要する材料等を運搬する目的で昭和三二年ごろから昭和三四年ごろにかけて掘さくされた坑道で、以前はトロリー線を使つて電気機関車を走らせ材料運搬坑道として機能していたが、昭和三九年四月二九日、上層二一卸部内の右三片補扇座附近の坑内火災の発生により同部内の採掘を中止して同部内全体を密閉したため、これを材料運搬坑道として使用する必要はなくなつた。

ところが、上層二一卸部内の密閉により同部内へ流れていた通気は全部三五〇メートル本延坑道に流れることになり、それでは同坑道の通気量がふえ同坑道の一部において石炭鉱山保安規則九二条一項に定める毎分四五〇メートルの風速制限を超過する現象が生ずるので、この風速制限にしたがうためには、三五〇メートル本延坑道の通気量を減らす必要があり、その方法として、同坑道から毎分一、一〇〇立方メートルの通気を分流させることとし、その分流させるための坑道として○片材料線坑道があてられることとなり、昭和三九年末以降○片材料線坑道は三五〇メートル本延坑道の入気バイパス坑道として本件火災発生当時まで使用された。

○片材料線坑道は、全長約四一二メートルの坑道で、そのうち上層二一卸真卸坑道から分岐して屈曲している部分の約七五メートルは下盤及び両側壁が炭層で天井が岩盤からなつているいわゆる沿層坑道、これに続く約七一メートル(内一五メートルは直線部)はその下盤及び両側壁の一部が炭層で他は岩盤からなるいわゆる半岩盤坑道で、その余の直線部分の約二一六メートルは周囲がすべて岩盤からなるいわゆる岩盤坑道、同約五〇メートルは半岩盤坑道となつているが、本件火災発生当時は、トロリー線や電気設備、機械設備も全て撤去されており、また、特段作業を行つている場所でもなく、もつぱら前記入気バイパス坑道としてのみ使用され、検定係員又は検定工が毎日一回、通気係員が月二回、同坑道を巡回点検し、旧材料線の密閉内の一酸化炭素ガスの観測に毎日一回、右密閉内の精密検査に測定工が月一回、通気係員が炭じん調査等のために同坑道を週一回巡回し、通気係の測定工が月一回同坑道の風量を測定するほかは、他の一般作業員らが同坑道に立入ることはなかつた。

(4) 三五〇メートル連延坑道は、地下約三五〇メートルのところに掘さくされた三川鉱の主要運搬坑道としてのみならず主入気坑道としても利用されている三五〇メートル本延坑道に対しその主排気坑道として右本延坑道に並行して掘さくされたもので、○片材料線坑道との間に同坑道の半岩盤坑道の部分で約二三メートル、沿層坑道の部分で約四五メートルの保安炭柱を残してあるが、前記のとおり、○片材料線坑道とは通気の方向が逆なため両坑道の負圧差は水柱約五〇ミリないし六〇ミリメートル(一ミリメートルで一平方メートルあたり一キログラム)で○片材料線坑道の方が三五〇メートル連延坑道より気圧は高いけれども、三五〇メートル連延坑道の周囲は昭和三七年七月コンクリートライニングを施してある。

(5) 旧材料線坑道は、上層二一卸部内の採掘準備中にその間の諸材料を運搬する目的で掘さくされた全長約九三メートルの沿層坑道で、その後○片材料線坑道が掘さくされたため不要となつたものであるが、○片材料線坑道から三五〇メートル連延坑道へ通気が短絡することを防止する目的で、旧材料線坑道の三五〇メートル連延坑道側と○片材料線側の二箇所に昭和三八年二月密閉がなされ、本件火災発生当時はいかなる目的にも使用されていなかつた。

(6) 上層二一卸採掘跡は、○片材料線坑道と最も接近しているところで約四四メートルの保安炭柱を残して位置しているが、昭和三九年四月二九日上層二一卸右三片補扇座附近に坑内火災が発生し、その消火のため、同火災発生直後、補扇座附近を局部内に密閉し、ついで上層二一卸真卸坑道に真卸密閉を、同連卸坑道に連排竪坑密閉を施し、更に、上層二一卸真卸坑道の一目抜及び二目抜より同二一卸連卸坑道に通気が短絡することを防止し前記真卸密閉及び連排竪坑密閉の通気遮断を完全にする目的で一目抜密閉及び二目抜密閉が構築されていた。

(二)  火災発生位置

前記のとおり本件火災が三川鉱○片材料線坑道附近で発生したことは当事者間に争いがないところ、同坑道附近における本件火災の更に具体的な発生地点については(同坑道のほとんどが本件火災消火のため密閉されたことは当事者間に争いがなく、右密閉がなされたため、その発生地点を細部にわたつて特定し明確に断定するだけの資料には乏しいが)、証人黒田正義の証言によると、本件火災発生当日に救護隊員として救護活動に従事した黒田正義は、同日午後九時ごろ上層二一卸入気竪坑から約七五メートルの距離だけ○片材料線坑道を下つて人道口の手前まで至り、その地点から約二〇メートル前方左側(坑道でいえば卸側)の炭壁に高さ約二メートル、幅約一メートルの局部燃焼している火災を目撃していること、それに既に認定したとおり、○片材料線坑道は、その直線部分のうち安全推進員休憩所寄りの約五〇メートルの部分は半岩盤坑道とはいうものの同部分から同坑道屈曲部分方向の約二一六メートルの部分は岩盤坑道で可燃物がなんら存しないのに対し、右屈曲部分(ただし同屈曲部分寄りの約一五メートルの直線部分をも含む)は沿層又は半岩盤坑道であることを併せて考慮すれば、本件火災の発生地点は、○片材料線坑道の右屈曲部分と推認され、他に右認定を左右するに足りるような証拠はない。

(三)  坑内火災の一般的な原因と経験則

(1) そこで本件火災の原因について検討しなければならないのであるが、まずその前提として坑内火災の一般的な原因について見ることにする。

<証拠>によれば、通商産業省公害保安局が毎年発表している鉱山保安年報によると、昭和二七年から昭和四六年までのわが国における坑内火災発生件数合計六〇件のうち原因別発生件数は、電気機器によるものが一五件、電気ケーブルによるものが一一件、各種機器類の過熱によるものが八件、摩擦熱によるものが四件、発破によるものが七件、熔接・裸火によるもの五件、自然発火によるものが二件、その他のもの(山はね現象、すなわち坑内の急激な破壊が坑内火災をひき起したもの)一件、原因不明のもの(これには原因調査はしたが原因が判明しなかつたものを含むが、主として原因調査そのものができなかつたもの)七件であることが認められ、また証人江渕藤彦の証言によると、坑内火災の原因としては、最も多いものが機械等の摩擦又はその運転中の過熱によるもので全体の約三六ないし三七パーセント、その次に電気機器の欠陥によるものが全体の約二五ないし二六パーセント、次に自然発火によるもので全体の約一五ないし一六パーセント、次に坑内電車やトロリー電車の運転によるものが全体の六ないし七パーセント、次にガス炭じんの爆発によるもの、それに爆薬の発破によるものがあるほか、タバコの火によるものが全体の二パーセント程度あることが認められる。

以上の事実によれば、坑内火災の一般的な原因としては、電気機器の欠陥によるもの、各種機器類の運転中の過熱や摩擦熱によるもの、発破によるもの、熔接・裸火によるもの、自然発火によるもの、山はね現象によるもの、ガス・炭じんの爆発によるもの、タバコの火によるもの、が存し、これらが原因の大部分をなしており、わずかながら原因不明のものもあるが、これとて主として原因調査自体ができなかつたことによるのであるから、それが原因不明であつても、そのことによつて右に列挙した出火原因のほかに科学的にも未解決とされる新しい特段の出火原因が坑内に存することをうかがわせるものでもなく、おそらく経験的には右に列挙した出火原因のいずれかであつて、そのいずれであるかが調査不能で確定し得ないケースであろうと考えられる。

(2) ところで、現実に坑内火災が発生した場合に、当該火災の出火原因が何であるかは、その火災の発生箇所、火災時におけるその部分の燃焼状態あるいは燃焼物の状況等、可能な限り、その火災現場の物的証拠に基づいて判断すべきことは当然であるが、消火の目的から火災現場が密閉された場合などは、その火災現場のつね日ごろの状況に徴し経験則に基づいてその原因を推定する以外に方法はないわけであり、その場合、坑内火災の一般的な原因が前認定のような態様と割合とを示すものであることからすると、そこに列挙したような坑内火災の諸原因の一つ一つについて個別的な検討を加え、その結果、現実には当該火災の原因とはなり得ないものを順次消去していつて、なお、当該火災の原因として考えられぬでもなく、したがつて消去することを得ない残余のものがただ一つとなつた場合は、経験則上、その残余の一つが当該火災の原因であるという、かなり強い蓋然性があるということができよう。

(四)  そこで、本件火災の原因について検討してみるに、前述のように、本件火災の発生位置附近は消火のため密閉されていて、その火災現場の燃焼状態や燃焼状況など具体的諸状況については調査が不能な事情にあるから、その出火原因は本件火災の発生位置附近のつね日ごろの状況に徴し、経験則に基づいて原因を推定するほかはないが、既に認定したとおり、本件火災が発生した○片材料線坑道は、本件火災発生当時、トロリー線や電気設備、機械設備も全て撤去された坑道であつたばかりでなく、特段作業も行なわれていない坑道であり、また証人江渕藤彦の証言によれば、同坑道は石炭鉱山保安規則により通商産業大臣から可燃性ガスや爆発性の炭じんにつき保安のため必要がないと認めて特免区域としての許可を受けた坑道、いわゆる特免坑道であつたことが認められるから、このような坑道での火災では、前に列挙した坑内火災の一般的な原因のうち、機械設備や電気設備に関係するもの、発破、熔接・裸火、それにガス・炭じんの爆発のようなものは出火原因として考えられず、タバコの火についても石炭鉱山保安規則によつて坑内へのタバコ等の持込みが禁じられていることや、既に認定したとおり、○片材料線坑道には一般作業員らが立入ることはなく、検定工や測定工、通気係員といつた坑内保安の仕事に従事する者だけが立入るにすぎなかつたことに徴すれば、本件火災の原因がタバコの火によるものとは、これまたとうてい考えられない。また前記した黒田正義救護隊員の目撃した炭壁の燃焼状況からすれば、本件火災の原因がいわゆる山はね現象によるものともうかがわれない。ちなみに、およそ本件では、さきに列挙した坑内火災の一般的な原因のうち自然発火を除くその余の原因については積極的な主張も立証もないものである。

そこで以下、ただ一つ残つたところの自然発火が、本件火災の原因となり得ないものであるかどうかを検討する。

(五)  自然発火について

<証拠>によると、石炭は絶えず空気中の酸素を吸着し、吸着された酸素は石炭中の炭素と化学反応(酸化現象)を起し、この酸化現象は必ず微量ではあるが熱を発生させる。しかし、通常の状態では、この熱が周囲の物体に伝わるとか、あるいは空気によつて冷却されるとかして、実際には酸化現象が行われていても温度の上昇はほとんど認め難いが、周囲の諸条件によつて熱の放散が妨げられる状態が生じるとしだいに熱が蓄積されて温度の上昇を招き、しかも温度が高くなると酸化現象は加速度的に活発となり蓄積された熱も高温となり、ついには炎を発して石炭が燃え上る。この現象をまとめて石炭の自然発火の現象ということが認められる。

また、<証拠>によれば、自然発火の現象が生じやすいのは、場所的には、炭鉱の坑内で石炭があつて酸素が適当に供給され、熱の放散が行われ難いところであつて、具体的には石炭を採掘した跡、払附近、坑道の天井に高落ちが残つたところ、炭壁で亀裂が生じているような箇所、断層とか褶曲の端、坑道内の片隅などに崩落した粉炭など石炭の堆積部分などがある、このほかにもそれ自体盤圧現象により炭壁に盤ぶくれや亀裂が生じやすくて石炭が崩落、破砕しやすい沿層又は半岩盤坑道の密閉箇所附近とか、炭層中にある入気坑道と排気坑道が比較的近接していて亀裂ができこれが繋がりやすいところとかは漏風が生じやすく、更に坑道の屈曲部分は直線部分に比較して若干通気抵抗が高いため、いずれも一般的にいつて自然発火の危険性が高いこと、そのほかおよそ地熱が高いところは石炭の酸化熱と相まつて自然発火のおそれがあるが、炭層内部の温度は通気による冷却作用の影響が少ないため炭壁表面のそれに比してはるかに高いし、通常地表から深さ一〇〇メートルあたり三度の割合で上昇すること、そして、時期的には、気圧の変動が激しく、大気中の湿度が低下する秋口(統計値上は九月)が自然発火が起りやすいことがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足りるような証拠はない。

(六)  ところで、本件火災の発生地点と推認される三川鉱○片材料線坑道の屈曲部分は、その一部が燃焼物となり得べき炭壁部分を露出した沿層坑道でその余が同じく半岩盤坑道であつたことのほか、同屈曲部分及びその周辺の旧材料線坑道、同密閉、三五〇メートル連延坑道等の位置、構造、距離・交叉状況など相互の関係、通気その他の諸状況については既に認定したとおりであり、また、本件火災の発生時期も前記のとおりであり、これら周囲の客観的状況を前認定の自然発火現象の仕組に照らすと、この沿層内と半岩盤内とに展開する屈曲した坑道部分は一般的にいつて、本件火災当時は場所的にも時期的にも自然発火現象を招来しやすい環境条件下にあつたということができ、少なくとも自然発火を本件火災の原因から消し去ることはできない。

そうだとすると、他に本件火災の真の原因と目されるものが存するにつき主張も立証もない本件においては、経験則上、本件火災の原因は自然発火であると推認するのが相当である。

この点原告は、本件火災の原因は三川鉱○片材料線坑道のうち旧材料線坑道との交叉点より数メートル入つた地点における(1)同屈曲部分の沿層坑道部分から、又は、そこより奥の半岩盤坑道部分から、同屈曲部分と三五〇メートル連延坑道(沿層坑道)との間に存する炭層部分の亀裂を通して同坑道に向けて漏風を生じ、その間の炭層内の○片材料線坑道に比較的近い部分における自然発火、(2)本件火災以前に上層二一卸右三片で発生した火災が本件火災当時まで鎮火せず、この火か又は上層二一卸採掘跡に火種となる別の火があつて、○片材料線坑道に伝播、延焼した発火現象、(3)○片材料線坑道の炭壁の崩落、盤ぶくれ等のため塊状あるいは粉状となつた石炭が堆積あるいは附着したまま放置されていたものからの自然発火、のいずれかであると主張したけれども、○片材料線坑道のほとんどが本件火災消火のため密閉されている本件事案においては、同坑道の屈曲部分が場所的に自然発火を生じやすいような具体的環境条件を備えていたかどうかはこれを肯定することも否定することも困難であるが、既に本件火災の原因が原告主張の坑道部分における自然発火であると推認される以上、もはや逐一検討の要もないものといわねばならない。

他方被告は、自然発火は本件火災の原因ではないとして、おおよそ次のように主張している。

○片材料線坑道の屈曲部分は、その上部が全部強固な砂岩層であるため炭層に荷圧がかからず、また同坑道と三五〇メートル連延坑道との間には、半岩盤坑道の部分で最低約二三メートル、沿層坑道部分で約四五メートルの保安炭柱を残していたので○片材料線坑道の周囲から同坑道へ荷圧を及ぼすおそれもなく安定した状況にあつたのみならず、同坑道を入気バイパス坑道として使用するようになつた昭和三九年末ごろは、同坑道が掘さくされてから既に五年ないし七年を経過しており、かつ、この間同坑道周辺において新たに石炭採掘を行つた事実もなかつたから、同坑道はこの意味でも物理的に安定していた。更に三五〇メートル連延坑道はその両側と天井とをコンクリートライニングしてあつた。したがつて、○片材料線坑道は自然発火の原因となるような新たな亀裂や盤ぶくれを生じたり、その石炭が崩落したり粉砕したりするような条件にはなく、同坑道から周囲に漏気するような状態にもなく、自然的保坑条件の特によい坑道であつた。

また同坑道は、常に乾燥し、かつ地熱も低い坑道であつたし、そのうえ同坑道には常時毎分一、一〇〇立方メートルという多量の入気が毎分一一〇メートルの速度で流れており、それは当然冷却作用を営み、熱の蓄積を防止するものであるから、その点からもいつて同坑道は自然発火を起す条件を持たない坑道であつたし、また、同坑道の石炭は、同坑道が通気バイパス坑道として使用されるにいたるまで、前述のように五年ないし七年もの間、通気にさらされていたものであるから、自然発火の誘因たる酸化現象を起すような新鮮な石炭でもなかつた。

また、石炭が自然発火するまでには相当な時間を要し、その間には特異な臭気や、発汗、発煙等の顕著な兆候を呈するところ、○片材料線坑道の屈曲部分附近において自然発火現象が発生した場合には、右自然発火現象に特有な種々の兆候が三五〇メートル連延坑道か○片材料線坑道に現われるはずであつて、本件火災発生当時、三五〇メートル連延坑道は三交代の検定係員又は検定工が毎日一回、常一番の通気係員が月二回、坑内の巡回点検観測等をなすほか、常一番の測定工が月一回三川鉱の全密閉について精密検査を行なう際同坑道をも巡回点検していたから、もし右自然発火の兆候があれば、これらの者によつてその兆候を覚知し得たはずであるのに、これらの者は同坑道において自然発火の兆候をなんら認めていないし、また本件火災発生の前日である昭和四二年九月二七日午前一一時ごろから通気係員長谷川克己は三五〇メートル連延坑道の五目抜ないし九目抜間を巡回点検し、同日午前一〇時ごろから検定工大津秀夫は三五〇メートル連延坑道の風橋ないし五目抜間を上層二一卸連卸坑道の密閉内のガス観測を含めて巡回点検したが、その際いずれにも自然発火の兆候を覚知していない。他方○片材料線坑道についても、検定係員又は検定工が毎日一回通気係員が月二回巡回点検し、同坑道側の旧材料線密閉内の一酸化炭素ガスを毎日一回ないし週二回観測し、更に測定工が毎月一回右密閉の精密検査を行つていたから、もし右自然発火の兆候があれば、これらの者によつてその兆候を覚知し得たはずであるのになんらその兆候を覚知していないし、また、本件火災発生の前日の午後一時五〇分ごろから同二時一〇分まで右通気係員長谷川克己は○片材料線坑道の通気休憩所において約二〇分間休憩し、右検定工大津秀夫は同日午前一〇時三〇分ごろから○片材料線坑道全体と旧材料線密閉等を観測した後右通気休憩所に午前一一時ごろ休憩し、安全推進員橋口初義もまた本件火災発生の日の二、三日前に○片材料線安全推進員休憩所に休憩したが、いずれも○片材料線坑道に自然発火の兆候を認めていない。

したがつて、本件火災の原因が○片材料線坑道の自然発火であるとはとうてい考えられない旨を主張する。

そこでまず○片材料線坑道の屈曲部分は物理的に安定し、自然的保坑状況の特によい坑道であつたとの主張についてであるが、坑道を取り巻く周辺の地質、岩質、炭層等は被告も主張するとおり多種多様であつてその環境は極めて複雑なものと想像され、しかもそれは地下深くのことであるから直接に眼で確かめることができないのはもちろん、現代最高の科学技術をもつてしても、右環境の全貌を正確に把握することは不可能であろうと思料されるから、坑道の物理的安定の問題はその程度の良否の問題として相対的には考えられても、絶対的なものではありえず、荷圧の点、保安炭柱の点とも被告主張どおりだとしてもなお、本件火災が○片材料線坑道の屈曲部分における自然発火に起因するとの前記推認をくつがえすことはできない。

次に、風による冷却作用についての主張については、○片材料線坑道の風量及び同坑道の断面積は、既に認定したとおり、被告のこの点に関する主張どおりであるものの、証人江渕藤彦、同房村信雄の各証言を総合すれば、坑内における風による冷却作用は炭壁の表面で働き、その限りでは自然発火は少なくなるけれどもその炭壁に亀裂ができて、その亀裂の奥で熱を蓄積して自然発火に至る場合等は右冷却作用と直接関係がないことが認められるし、次に坑内の巡回点検等にもかかわらず自然発火の兆候を感知できなかつたとの主張については、証人橋口初義、同江渕藤彦、同島田昭雄(第一、二回)、同富安次平太、同長谷川克己、同大津秀夫の各証言がこれに副わないではないが、一方証人房村信雄の証言によれば、自然発火の現象において石炭が発火するまでには数時間ないし数日という幅があり、これは石炭自体の燃焼性の早さ遅さ、酸素の供給状態や、熱拡散の容易不容易などに坑内の総合的な環境条件が加わつて、ある温度段階に達してから発火するまでにきわめて急速に進むものと、それほどでもないものとがあつて、数時間という例は数少ないけどれも、わずかな異臭を感じてから数時間足らずで発火現象が非常に激しくなつた事例も報告されていること、自然発火の初期の兆候としては特異な臭気、一酸化炭素ガス、エチレンなどのガスの発生、水蒸気の結露、局部的な温度の上昇等があるが、坑内の通気量に比べて発生する臭気、ガス、水蒸気等が微量であるとこれらは通気に拡散されて嗅ぎとつたり発見し難くなり、また結露すべき露が炭壁に残るようなことは起り得ず、いかに頻繁に坑内を巡回したところでとうてい兆候を感知できないこともありうること、一般的にいつて嗅覚は臭が存在しない状態から臭が存在する状態が生じたという場合には非常に敏感である反面、臭が存在する状態の中ではすぐ感覚麻痺を起して臭の強さあるいはその存在についても意識しなくなるし、このように人が臭を嗅ぎわけるについては微妙なものがあり自然発火の兆候発見の手段としては正確性及び信頼性に乏しいこと及び自然発火防止のための人間による巡回点検等には平生危険がないと考えられている箇所については注意力が充分行き届かない場合もあることが認められるのであるから、被告の右主張事実のみによつては、いまだ本件火災の原因を前記のように自然発火と推認したことをくつがえすに足りない。

そして、他に前記推認をくつがえすに足りるような証拠はない。

3  工作物の設置、保存の瑕疵及び孝知の死亡との因果関係の有無

(一)  ところで、○片材料線坑道は当初上層二一卸部内の採掘作業に要する材料等を運搬する目的で掘さくされた坑道であつたが、昭和三九年暮以降は三五〇メートル本延坑道の通気を分流させるいわゆる入気バイパス坑道として本件火災当時まで使用されていたこと、そして通気の目的は坑内への新鮮な空気の供給、有害ガスの稀釈排出及び温度の上昇防止にあること、通気の流れは○片材料線坑道屈曲部分から同坑道直線部分、安全推進員休憩所等を経由して三五〇メートル本延坑道の通気に合流し、同坑道九目抜人車乗降場並びに上層西二六ホーリング座、上層二六卸二片等の方向へ流れる仕組となつていたことはいずれも前記のとおりであるが、このような○片材料線坑道の機能や位置などからすると、もし同坑道で自然発火その他の原因により坑内火災が発生したとすれば、通気というその本来的機能に支障があるばかりでなく、その通気の流れに乗つて有害ないわゆる跡ガスが下流である九目抜人車乗降場並びに上層西二六ホーリング座、上層二六卸坑道二片等の方向へ運搬され、同方向において就業中の者の生命又は身体に危険を及ぼすことが十分予測されるのであるから、同坑道における坑内火災を早期に発見するための巡回、点検、観測並びに坑内火災発生の際は速やかに坑内作業員らを避難させるための退避訓練等の保安体制が被告において確立されていなければならないことはもちろんであるが、それにもまして、まずは根本的に被告は同坑道をその性状並びに設備において自然発火その他の原因による坑内火災の発生を未然に防止できるもの、もし坑内火災が発生した場合はその発生した火災の延焼、拡大を最少限に止め得るもの、としてこれを設置、保存しなければならないものである。

しかるに、いつたん坑内火災が発生すれば前述のような人の生命身体に危険を及ぼす○片材料線坑道の屈曲部分において既に認定したように自然発火が起り、これが原因となつて坑内火災が生じ同所の炭壁部分が長時間にわたつて燃え続けたわけであるから、同坑道屈曲部分は坑道として通常備えているべき安全性を欠き、その設置又は保存に瑕疵があつたものと推定できる。

被告は、○片材料線坑道の屈曲部分の設置又は保存の瑕疵を争い、次のように主張する。

炭鉱における坑道は大地に深く掘さくされるため坑道を取り巻く環境はきわめて複雑であり現代最高の科学技術をもつてしても右環境の全貌を正確に把握することは不可能であり、このような特殊な自然条件下にある坑道は石炭そのものの化学的性質とも相まつて事故が発生する相当の危険性を伴つているから、石炭企業者がいかに努力しても事故の発生を防止し得ない場合があり、したがつてその責任は、坑道等の設置保存につき保安関係法令所定の保安基準を遵守するとともに、その当時、現代科学のもとにおける地質調査上及び採鉱上のそれぞれの知識と技術の水準に照らし必要かつ相当と認められる事故発生の防止措置を講じていた事実があれば、事故の原因が何であろうと、もはやその事故は民法七一七条にいう「瑕疵」によるものではないとして免責されるべきものであるところ、被告は本件坑道等について坑内火災の発生の防止のため保安関係法令所定の保安基準を遵守するとともに、本件火災発生当時、現代科学のもとにおける地質上及び採鉱上のそれぞれの知識と技術の各水準に照らし必要かつ相当と認められる手段方法を講じていたから、本件火災は民法七一七条の「瑕疵」によるものではない。

およそ以上のように主張するのであるが、まず保安関係法令についてであるが、これは特別な危険を伴なう石炭採掘事業の特殊性にかんがみ、その危険防止のために類型的な場合を想定して設けられた一般的画一的基準に基づき種々の措置を命じているものにすぎないから、個々の具体的場合において要求される適切な措置なるものが右基準によつて限定されることはなく、したがつて右保安関係法令所定の保安基準を遵守したからといつて坑道の設置、保存に瑕疵がないと一概にはいうことができないし、次の、被告の主張する万全の防災措置なるものも、前記のとおり、自然発火現象は石炭が酸素を吸着して酸化現象を起し、一定の条件下においては酸化現象によつて生ずる熱が蓄積されて、ついには発火するというものであつて、沿層又は半岩盤坑道は一般的にいつて炭壁に盤ぶくれや亀裂が生じやすく、石炭が崩落、破砕しやすく、その密閉箇所、入排気坑道の近接したところ、坑道の屈曲部分等は自然発火の危険性が高いうえ、入気坑道など通気圧が高いところでは右のような危険区域の内外に漏風を生じやすくし自然発火現象を促進するおそれがあるというのであるから、また沿層坑道又は半岩盤坑道においてはその炭壁部分は坑内火災の際は燃焼物ともなるものであるから、入気坑道を沿層又は半岩盤内に展開することは本来避くべきことであろうが、止むを得ずこれを展開するにしても、右のような危険区域を築造することはできるだけ避けるようにすべきであろうし、止むを得ない事情から入気坑道を沿層又は半岩盤内に展開せざるを得ず、また、その坑道中に屈曲部分が生ぜざるを得ないとしても、成立に争いのない甲第一号証によつても窺い知ることができるように、その炭壁部分にはコンクリートライニングを施し、炭層の亀裂内部にはセメントミルクを注入するなどして、これらの部分に酸素の供給を断つための措置が最少限度必要である。ところで、本件火災発生の現場である○片材料線坑道の屈曲部分は、既に認定したとおり、一部が沿層、その余は半岩盤に展開する屈曲した坑道部分であつたのであるから、右現場において右のような措置がなされていなかつたとすれば、そのこと自体からも被告のそれが萬全であつたとはいえないこととなるが、同所にコンクリートライニングが施してなかつたことは当事者間に争いがないのであるし、それはともかくとして、現に○片材料線坑道の屈曲部分において自然発火が起り、これが原因となつて本件坑内火災が発生し、同所の炭壁部分は長時間にわたつて燃え続けたわけであるから、同坑道が坑内火災の発生を未然に防止できるもの、もし坑内火災が発生した場合はその発生した火災の延焼、拡大を最少限に止め得るもの、としてこれが設備され、その維持がなされていたとはとうてい認められず、被告の右主張は前提において失当で採用できないものである。

そして他に○片材料線坑道の屈曲部分の設置又は保存に瑕疵があつたとの前認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(二)  以上認定のとおり、○片材料線坑道の屈曲部分に設置保存の瑕疵があり、そのため同屈曲部分が自然発火して本件火災となつたのであるが、右火災により発生した跡ガスによつて本件孝知の死亡事故が発生したことは前記のとおり、当事者間に争いがないのであるから、右の瑕疵がなければ本件孝知の死亡事故もなかつたというべき関係にあり、前記甲第一号証によれば、右の跡ガスは通気の流れの仕組のうえで下流にあたる坑道等において就業していた多数の坑内作業員を死傷させたことが認められるのであるから、たとえ被告の主張するとおり、本件火災当時、孝知に服務上の義務違反があつて、これが同人の死亡の一因をなしているとしても、それだけで右の瑕疵と孝知の死亡との間に相当因果関係を欠くに至るものということはできない。

三被告の不可抗力の抗弁について

被告は、本件火災がもし自然発火に起因するものであるならば、被告は○片材料線坑道や三五〇メートル連延坑道を十分に巡回、点検、観測をなしていたにもかかわらずその際に自然発火現象に特有な兆候を覚知し得なかつたばかりでなく、本件火災発生の当日、自然発火の兆候を覚知してから火災に至るまでの時間もまた極めて短い異常突発的なものであつたから、このような自然発火はその発生を防止することが不可能なもので、不可抗力によるものである旨主張する。

ところで<証拠>によれば、運搬係員入江幸三郎は本件火災発生当日の午前五時四〇分ごろ九目抜人車乗降場において大型電車が通過した際ゴムベルトの焼けるような臭気を感じ、その二、三分後である午前五時四二、三分ごろ、二四昇旧竪坑で天井際に流れている薄い煙を発見し、その直後に坑道一面を流れる真黒い煙を発見したこと、<証拠>によれば、機械係員松本圭弼は同日午前五時四五、六分ごろ上層二六卸五片付近でケーブルの焼けるような臭気を感じ、かすかな薄い煙を発見し、午前五時五〇分ごろ同二片付近で真黒い煙と石炭の燃える強い臭気を感知して坑内火災が発生していることに気付いていることがそれぞれ認められるところ、以上の事実は、入江幸三郎及び松本圭弼がその兆候を覚知してから数分後に自然発火が起り、それが本件火災に至つたものというように見るべきではなく、右両名が覚知したのはまさに本件火災そのものであるといわなければならず、他に本件火災が異常突発的な自然発火に起因する旨の被告の右主張事実に副う証拠はない。そしてまた、前記のとおり、一般的にいつて炭鉱の石炭のある坑道等においては自然発火現象の生ずべき基礎的な環境条件は常に備わつているため、必ずしも予見できないような異常な外部的要因が加わらずとも通常の過程で自然発火は発生し得るのであるから、仮定的にせよ本件火災の原因が自然発火であることを前提としながら、しかも右のような異常な外部的要因の存在についてはなんら触れることなく、不可抗力の主張をなすことは、それ自体失当といわなければならない。

そうすると、被告は本件事故による損害を賠償する責任を免れない。

四損害

1  孝知の損害と損害賠償請求権の相続

(一)  得べかりし利益

孝知が昭和一二年九月二〇日生れで本件事故当時三〇歳であつたこと、当時同人が被告から一か月金二万八八九〇円の賃金の支給を受けていたことは当事者間に争いがない。

厚生省発表の第一一回生命表による三〇歳男子の平均余命は40.07年であること及び当裁判所に明らかな労働市場の状況からすれば、孝知は本件事故に遭わなければ、六五歳に達するまでの三五年間被告に雇用されて賃金の支給を受けることができたものと推認される。

すると孝知は、本件事故後六五歳に達するまでの三五年間、昇給を考慮のそとにおいても、少なくとも年額金三五万円を超える賃金収入を得ることができたはずであり、そして、その間における孝知の生活費は収入額の四分の一程度とみるのが相当である。

したがつて、この生活費を控除して孝知の得べかりし純利益を算出したうえホフマン式(複式)計算により民法所定年五分の中間利息を控除したとしても、孝知の得べかりし利益の喪失による損害は、原告ら主張の金五一八万八五三七円を下らないものと認める。

(二)  慰謝料

原告京子は孝知の妻であり、原告幸枝は孝知の子であつて本件事故当時生後五〇日を過ぎたばかりであつたこと、原告ハジメは孝知の母親で本件事故当時六四歳であつたことは当事者間に争いはない。

これによれば、孝知は三〇歳という若さでその生命を失い、妻原告京子と生後まもない原告幸枝及び年老いた母親原告ハジメらを残して先立つたのであるから、その精神的苦痛は比類なく甚大であつたと認められるので、孝知が本件事故により被つた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料として、原告主張の金三〇〇万円は相当であると認める。

(三)  損害賠償請求権の相続

原告京子は孝知の妻、原告幸枝は孝知の子であることは当事者間に争いはないから、孝知の被告に対する得べかりし利益の喪失による損害金五一八万八五三七円及び慰謝料金三〇〇万円、合計八一八万八五三七円の損害賠償請求権について、原告京子はその三分の一である金二七二万九五一二円部分を、原告幸枝はその三分の二である金五四五万九〇二五円部分をそれぞれ相続によつて取得したこととなる。

2  原告らの慰謝料

前記のとおり、原告京子は孝知の妻、原告幸枝は孝知の子であつて本件事故当時生後五〇日を過ぎたばかりであつたこと、原告ハジメは孝知の母親で本件事故当時六四歳であつたことは当事者間に争いがない。

原告京子の本人尋問の結果によると、原告京子は孝知と結婚してわずか一年三ケ月目にして本件事故により一家の大黒柱ともいうべき最愛の夫を失つたことが認められる。

それによれば、原告京子は今後生後まもない乳呑み子をかかえて生活して行かねばならず、また、原告幸枝は生後五〇日余にして突然父を失い、父亡き子として生涯を送らねばならない。そして原告ハジメは頼りとしていた最愛の子供を六四歳という老齢の身で失なつたのである。

そこで本件事故によつて原告らの被つた精神的苦痛を慰謝するための慰謝料としては原告ら各自に対し金一五〇万円が相当であると認める。

3  過失相殺の主張について

被告は、孝知は本件事故当日午前五時一〇分に作業を終了していたのであるから、直ちに自己の持場を去り、係員の上り着到(昇坑の確認)を受けるため三五〇メートル本延坑道の九目抜人車乗降場で待機すべき義務があつたのにその義務に反したため死亡するに至つたものであるから、孝知にも重大な過失があつたのであり、過失相殺の規定が適用されるべきである旨主張する。

ところで<証拠>を総合すれば、孝知は、一般的に、平常時においては午前五時二五分までには自己の持場における作業を終了し、その後直ちに右人車乗降場へ向い同所で午前五時五六分直前係員の上り着到を受けるまで待機すべき旨の服務上の指示を受けていたこと、そして孝知は平素はこれに従いほとんど例外なく午前五時三〇分ごろまでに同所に来て待機していたこと、孝知は本件事故当日は午前五時一〇分ごろ自己の持場である上層西二六ホーリング座附近での作業を終了したこと、入江幸三郎は同日午前五時二〇分ごろから同人が右人車乗降場において待機していた際も、午前五時四二、三分ごろ同人が臭気を感じて自己の部下である坑内従業員五名に退避を命じた間及び同日午前五時五〇分ごろ同人が約二〇名の坑内従業員をつれて同所から退避する際のいずれのときにも、孝知の姿をついに見かけていないこと、同所附近で孝知の工具袋が落ちていたこと、同日孝知に上り着到を行う予定であつた松本圭弼係員は同日午前五時五〇分ごろ上層二六卸坑道二片附近で本件火災を発見し直ちに緊急行動に移り、予定されていた上り着到は行なわなかつたことが認められ、また、孝知は本件火災により発生したガスに追われて退避中上層二六卸坑道二片附近で右跡ガスによつて中毒死亡したものであることは前記したとおりである。

右の事実に徴すれば、孝知は作業終了後も直ちに右人車乗降場へ行つて待機することをせず、その服務上の義務に違反したがために他の坑内作業員とともに安全に退避することができず、同人の死亡という結果を招来したものとする推測が一見可能であるかのようであるが、他方において、孝知は平素はほとんど例外なく午前五時三〇分ごろまでには右人車乗降場に来て同所で待機していたことからすれば、本件事故当日は、作業終了後の機械の整備点検に多少の時間を要したなど、その他何らかの特別の事情があつて同時刻までに同所へ行くことができず午前五時五〇分過ぎごろになつてはじめて同所へ至つたけれども、本件火災という緊急事態が発生したため上り着到を受けることができず、生命の危険を避けるため上層二六卸坑道を通つて逃避しようとしたものとの推測も可能であつて、いずれにしても本件では右義務違反が具体的にいかなる態様のものであつたかを認めさせる資料がなお十分でなく、したがつて右義務違反が孝知の不注意によるものであつたか否かを確定することができないし、更に本件工作物の瑕疵は、前記のとおり、○片材料線坑道屈曲部分の炭壁部分にコンクリートライニングを施すことにより容易に補填可能なものであつたのに、これを放置するときは、甲第一号証によれば、孝知を含めて右坑道の通気上の下流にあたる坑道等において就業を余儀なくされていた坑内従業員合計七名の生命を奪いその他の多数の坑内従業員の生命又は健康に重大な危険を及ぼすべき性質のものであつたのであるから、これと比較するならば孝知に一見服務上の指示に関する義務違反があつたとの推測が成り立つからといつて、孝知に重大な過失があつたものとして直ちにこれを損害賠償額の決定について斟酌するのは相当でなく、被告の右主張は採用できない。

五被告の抗弁2について

被告は、本件事故による孝知及びその遺族である原告らの損害補償については、被告が原告らに対し弔慰金一〇〇万円を支給するということで既に解決ずみであるから、原告らは被告に対し右一〇〇万円の支払とは別個に損害賠償請求をすることは失当である旨主張する。

しかして、被告主張の経緯に基づき、被告は日本炭鉱労働組合及び三池労組との間で昭和四二年一二月五日から中央での団体交渉を開き、孝知の遺族に対する弔慰金は総額金一〇〇万円とすることで諒解が成立し、昭和四三年一月二五日右三者が協定書に調印したこと、しかして右協定書によると、一般の業務上死亡による遺族に対する弔慰金は従来どおり金八〇万円であるけれども、孝知の遺族に対する弔慰金については特に金一〇〇万円を支給することに協定されたものであることは当事者間に争いがないが一方、<証拠>を総合すると、全国三井鉱山労働組合連合会(略称三鉱連)と被告との間で団体交渉がなされた結果、昭和三五年四月二九日被告における労働災害の死傷者に対する見舞金及びこれに関連する諸取扱についての協定が成立し、従業員が業務上死亡した場合香花料金二万二〇〇〇円、葬儀雑費金七万八〇〇〇円の合計金一〇万円が被告から支給されることになつたこと、そしてその後多少の経緯もあつたが昭和三八年一一月九日の三川鉱大爆発に関連する協定事項ということで従来の香花料と葬儀雑費に当るものを弔慰金として金額も金四〇万円とし、これに各方面から寄せられた香典金一〇万円を加えて合計金額を金五〇万円とする旨の協定の改定がなされたこと、そして更に昭和四一年五月六日日本炭鉱労働組合と被告との間で、業務上の災害で死亡したのであれば被告の責任の有無も、従業員本人の過失の有無も一切問わず弔慰金、香典、団体生命保険金等を含めて金八〇万円を支給することに改められたこと、しかして前記した昭和四二年一二月五日から開かれた中央での団体交渉においては、交渉事項が多く孝知関係のホフマン方式補償要求等を議論に乗せ得ないまま従来の弔慰金等金八〇万円のほかに各方面から寄せられた香典等の弔慰金中から金二〇万円を追加支給するということになつたこと、そして右中央での団体交渉の結果昭和四三年一月一二日各交渉団の間で了解に達し、同月二一日労使双方の各機関で右了解事項が批准され、同月二五日協定書に調印する運びとなつたが、右調印の際、三池労組組合長宮川睦男から被告を代表していた加藤労務副部長に対し、右協定によつても個人の損害賠償請求権の行使は拘束できないので、被告の方でも右の点を確認されたい旨の申入れをなしたところ、被告側は個人の損害賠償請求権の行使については組合の方でできる限り押えて貰いたい旨の要望が逆になされたが、宮川睦男は、右の金一〇〇万円には内容的に団体生命保険金や各方面から贈られた香典等が含まれている種類の金銭であるから香典として受領する旨の説明をして被告側の右要望を拒絶したうえ右調印を済ませたことが認められ、右認定を左右するに足りるような証拠はない。

以上にみられるような被告が原告らに対し弔慰金一〇〇万円を支給することになつた交渉の経緯、資金の出所、並びにその金額等の諸般の事情にかんがみれば、昭和四三年一月二五日調印の前記協定書による協定の成立をもつて、原告らが被告に対する本件事故による損害賠償請求権を放棄したものと見ることは勿論、示談が成立したものと認めることもとうていできない。したがつて被告により原告らに対し右金一〇〇万円の支給がなされることによつては本件事故による孝知及びその遺族である原告らの損害賠償請求権になんらの消長をもたらすものではなく、被告の右抗弁は失当である。

六結論

よつて、被告に対し、原告京子が孝知の被告に対する前記慰謝料請求権の相続分金一〇〇万円及び自己の同慰謝料分金一五〇万円の合計金二五〇万円、原告幸枝が孝知の被告に対する前記損害賠償請求権の相続分金五四五万九〇二五円及び自己の同慰謝料分金一五〇万円合計金六九五万九〇二五円のうち金六九五万八五八一円、原告ハジメの前記慰謝料分金一五〇万円並びに右各金員に対すを不法行為の後である昭和四二年九月二九日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、それぞれ支払を求める各請求は全て理由があるからこれらを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、仮執行の宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(井野三郎 江口寛志 照屋常信)

<別紙 三五〇M坑道○片材料線附近図省略>

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